2009年8月28日金曜日

スペイン語とポルトガル語(Webを使って)

皆様お久しぶりです。
大学の夏季一斉休暇も終わり、これから新学期に向けての準備に入るところです。
言語の勉強はどうですか?
ご紹介した映画祭などもそろそろ始まりますね。
9月後半はこうした映画祭などで研鑽を積むことにして、あともう少し勉強を積み重ねましょう。

さて、本日ご紹介するのはイギリスのBBCが提供している語学番組です。

http://www.bbc.co.uk/languages/

左側にスペイン語とポルトガル語の入口がありますので、そこから入ってください。
このHPはどちらも初心者向けです。
初級の外国語と、旅行用の短い表現集、そしてその国の紹介などになっています。
音声はどちらも自然なスピードで話されているので、よい勉強になりそうです。

2009年8月7日金曜日

スペイン語勉強法(Webを使って)その2


先日、東京外国語大学の言語モジュールをご紹介しましたが、いかがでしたか?

さて、前回は発音編のみをご紹介しましたが、今日は文法編をご紹介したいと思います。
文法編の中でも特に過去形や未来形など時制に関する部分や、自分が苦手だと思われる部分を集中的に練習されると良いと思います。

特にお勧めは練習問題です。キーボードをスペイン語入力に変更し、スペイン語のアクセントなどを入力しないと正解にならないので、スペイン語の設定にする必要があります。誤答があったものを秋にまとまめて授業で質問しても良いかもしれませんね。

2009年8月5日水曜日

へミイングウェイ帰国の謎

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト)

 米国人ノーベル文学賞作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899―1961)は1932年にハバナのホテル「アンボスムンドス(新旧両世界)」を拠点とし、40年からハバナ郊外の邸宅フィンカ・ビヒアに住み始めた。59年元日に革命が勝利した後、フィデル・カストロ革命軍最高司令官(当時)とも会っているが、60年7月突然、米国に去ってしまった。そして1年後の61年7月、猟銃で自殺した。
 第1次世界大戦、スペイン内戦、第2次世界大戦を取材したヘミングウェイならば、閃きの源になりうる革命過程のキューバと、もっと長く付き合うのが自然ではないかと誰もが思うだろう。なぜ革命後1年半でキューバを離れてしまったのだろうか。これは多くの人々にとって深い謎だ。
 キューバ共産党青年部の機関紙「フベントゥー・レベルデ(反逆青年)」が8月2日報じたところによると、ヘミングウェイ博物館(旧邸宅)のアダローサ・アルフォンソ=ロサレス館長は、「当時、キューバに駐在していたフィリップ・ボンサル米大使から、キューバに留まれば裏切り者と見なすと通告され、やむなく出国した」と語っている。館長はさらに、「このような圧力が作家の自殺につながった」と見ているという。
 当時のアイゼンハワー米政権は61年1月、キューバとの国交を断絶した。同月就任したケネディ米大統領は、前政権の決定を引き継いで、その年4月、キューバ島コチーノス湾ヒロン浜にキューバ人傭兵部隊を送り込んで侵攻作戦を撃つが、カストロ軍に撃破されてしまう。その後、62年10月、あのキューバ核ミサイル危機が勃発し、翌年ケネディは暗殺されてしまう。
 キューバと米国の関係が険悪な方向に急傾斜しつつあった時代に、ヘミングウェイは意に反する形で出国を余儀なくされたのか。館長の証言は検証が必要だが、いずれ新しい資料が出てきて、真相が明らかになるだろう。
 

2009年8月3日月曜日

『革命の侍』刊行間近!

伊高浩昭(2009年8月1日)

『革命の侍』刊行間近!
 ボリビアでチェ・ゲバラの下で戦い死んでいった日系ボリビア人フレディ前村の25年の生涯を描いたこの本は、フレディの実姉マリー前村とマリーの息子エクトルが書き、ボリビアで2006年9月に刊行された。この本を、本ラテンアメリカ研究所の受講生・松枝愛が翻訳した。長崎出版(東京神田)から8月6日に見本が刊行され、中旬に全国の書店で発売される。フレディとマリーの父は鹿児島県生まれの移住者で、この本は鹿児島県や在京鹿児島県人会などで強い関心を集めることになるはず。ラ米好き、ボリビア好き、クーバ好き、ゲバラ好き、南米好きにとって必読の書。