2011年2月21日月曜日

波路はるかに~伊高浩昭先生の船上便り(3)

 2月17-18両日、ペルーの首都リマの港カヤオ、リマ市、その南方郊外の新興都市ビジャ・エルサルバドール(VES)に滞在した。ペルーの海岸地方は、フンボルト寒流が雨雲をつくらないため、一年を通じて雨がほとんど降らない。だから砂漠が帯のように続いている。今年は「ラ・ニーニャ現象」で寒流がとりわけ冷たく、異常気象が広がっている。


 海岸地帯には、過去50-60年の間にアンデス高地から先住民族やその混血民族が新生活を求めて下り、一連の「新しい街(プエブロス・ホベネス)」をつくって定住した。VESはその一つで、1971年、今からちょうど40年前に人々が住み着いて始まった。

 私が1980年代後半に訪れたときには、砂漠が街を支配していた。90年代もそうだった。だが今回見た街は、発展し、人口も50万人に膨らんでいた。しかし貧困が視界から消えたわけではなく、市街地から離れた周辺地帯には以前と変わらない砂漠状況があった。この訪問記は、ラティーナ誌5月号(4月20日出版)に掲載される。機会あれば、ご覧いただきたい。

 わがオセアニック号は、再びエクアドール(赤道国)沖で赤道を越え、北半球に戻って、やがてパナマ運河に入る。昨夜は、「パナマ運河の歴史と現代」という講座を開いた。ではまた、

2011年2月20日 ペルー北部沖にて サルバドール