2008年11月12日水曜日

ブラジル映画特集

東京Filmexにて~ブラジル映画の奇跡~ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ監督特集が行われます。

プログラムとしては、3プログラム(5作品上映)
●『マクナイーマ』 
●『夫婦間戦争』(※併映『キャットスキン』) 
●『ガリンシャ』(※併映『シネマ・ノーヴォ』) となります

詳細は下記にてご確認ください。

http://www.filmex.net/2008/special_pa.htm

2008年11月11日火曜日

変わる南米

TVの番組情報をお伝えします。
NHK BS1で放送される世界のドキュメンタリーの中から、シリーズ「変わる南米」のお知らせです。
この番組は世界のさまざまな放送局が制作したドキュメンタリー番組を放映しています。

下記はすべてNHK 世界のドキュメンタリーのページより<変わる南米>の部分のみを抜粋しました。

<シリーズ 変わる南米>
チャベス政権 光と影 ~21世紀社会主義の行方~
11月11日 (火) 午後9:10~10:00
世界有数の埋蔵量を誇るベネズエラの石油の国有化を打ち出したチャベス大統領。3選を果たした直後の2007年の1年間、社会主義路線を強めていくベネズエラの姿をロードムービー風に取材し、各地の人びとの暮らしの現実をとらえた。
チャベス自身へのインタビューを交え、石油を国有化しても改善されない貧困の実態や、社会主義路線への危機感を強める人びとの声を伝える。

<シリーズ 変わる南米>
<世界33ヵ国 共同制作 民主主義>南米ボリビア “先住民たちの革命” (再)
11月12日 (水) 午後9:10~10:00
南米初の先住民の大統領、ボリビアのモラレス大統領に密着し、欧米流の政策に異論を唱え、理想を掲げて登場した政治家たちがぶつかる壁を描く。
天然ガスの国有化や貧困層への海外援助金支出が、上院の反対で実現せず、支援した民衆に苛立ちがつのる。大統領と共に下院議員に当選した貧困層対策に力を注ぐ女性議員の姿を交え、大統領と改革派議員たちのジレンマを追う。
※‘07年に放送された「NHK33ヵ国共同制作 民主主義」シリーズ、10本のうちの1本を再放送します。

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 前編
11月13日 (木) 午後9:10~9:54
1973年、チリ。ピノチェト将軍は、民主的に成立した社会主義のアジェンデ政権をクーデターで倒し、大統領の座についた。以後、15年に及ぶ独裁の中で、数千人が拘束され殺された。1998年、犠牲者の家族の告訴により、初めてチリの司法の下で控訴院が調査を行うことになった。
この番組は、ピノチェト元大統領を裁くという重要な裁判を任されたホアン・グスマン判事がピノチェト元大統領を起訴するまでのプロセスを数年間にわたり追い、ピノチェト政権下で何が起きていたか、その全貌に初めて迫った。

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 後編
11月14日 (金) 午後9:10~9:52
後編では、グスマン判事がピノチェト元大統領を起訴するまでのプロセスを描く。

<シリーズ 変わる南米>
ブラジルが世界を変える ~ルーラ大統領の挑戦~ (再)
11月17日 (月) 午前10:10~11:00
このドキュメンタリーでは、ルーラ大統領本人そしてその独自外交の担い手であるセルソ・アモリン外務大臣の証言を軸に、今後の南米のカギを握るベネズエラのチャベス大統領やボリビアのモラレス大統領らと、どのような南米の姿を築こうとしているかが語られる。

<シリーズ 変わる南米>
チャベス政権 光と影 ~21世紀社会主義の行方~ (再)
11月18日 (火) 午前10:10~11:00

<シリーズ 変わる南米>
<世界33ヵ国 共同制作 民主主義>南米ボリビア “先住民たちの革命” (再)
11月19日 (水) 午前10:10~11:00

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 前編 (再)
11月20日 (木) 午前10:10~11:00 

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 後編 (再)
11月21日 (金) 午前10:10~11:00

2008年11月8日土曜日

立教大学の秋(Otoño en Rikkyo)


今日は雨模様で、紅葉の輝きは今ひとつですが、グラデーションの美しさも見てくださいね。
Espero que aprecien las hojas brillantes en colores muy variadas.

2008年11月7日金曜日

Federico García Lorca: Poeta en Tokio


セルバンテス文化センターより下記のお知らせが届きました。

セルバンテス文化センターの公式オープンを記念し、 11月10日から15日までのスペイン文化週間に行われる数々の 文化プログラムのうち、 http://tokio.cervantes.es/jp/microsite/informaciones/eventos_culturales.htm
ガルシア・ロルカ/ポエタ・エン・トウキョウ」に教育機関の先生、 職員、生徒の皆様をご招待するそうです。 なお、当日17:00よりスペインクラシック音楽コンサート「クアルテート・サラバスティ」にもご参加いただけます ・・・ とのことです。ラテンアメリカ研究所よりまとめて予約をお願いしますので、ご興味のある方は、必ず8日(土)17時までにラテンアメリカ研究所までお申し込みください。

11月11日(火)

15:00 オープニングアクト
15:30  シンポジウム「フェデリコ・ガルシア・ロルカ:ポエタ・エン・トウキョウ」
ラウンドテーブル
ロルカ財団会長、姪孫であるラウラ・ガルシア・ロルカ、ロルカ研究の第一人者アンドレス・ソリア・オルメド氏、スペイン王立アカデミー会員清水憲男教授を迎え講演会を開催いたします。
会場 セルバンテス文化センター東京オーディトリアム
出演 ラウラ・ガルシア・ロルカ、アンドレス・ソリア・オルメド
協力 フェデリコ・ガルシーア・ロルカ財団
言語 スペイン語、日本語同時通訳あり 無料

立教大学の秋(Otoño en Rikkyo)


蔦のからまるチャペル(11月7日現在)

立教大学といって思い出すのは、時計台のある本館(モリス館)でしょうか、それともチャペルでしょうか。どちらも蔦のからまる歴史的建造物ですが。

このうち蔦の紅葉が見事なのがなんといってもチャペルです。桜の花も日当たりによって開花時期が異なるように、立教で一番早く蔦が色ずくのがチャペル。そして、今がチャペルの蔦の見ごろです。明日の登校の際にはぜひこのチャペルの赤をご覧になってください。
La Capilla cubierta de yedra (el día 7 de noviembre)
De cuál se recuerda Vd. al oir el nombre de Rikkyo, ¿el Edificio Morris (la torre con reloj)
o la Capilla? Ambos edificios son propiedades históricas de Tokio, cubiertos de yedra. Como las flores de cerezo florecen de distinta manera con o sin sol, las yedras también se enrojecen diversamente. Las hojas de la capilla se colorean por primero. Ahora están en su plenitud. Que no pierdan esta belleza.

2008年11月6日木曜日

在日ブラジル人これからの100年


おもしろそうな講演会のお知らせです。
出かけなくとも、インターネットで中継されるようです。

日時:2008年11月9日(日)
在日ブラジル人これからの100年
会場:女性と仕事の未来館

「インカの歌姫」イマ・スマックが死去


写真出典:
http://www.elpais.com/articulo/Necrologicas/Yma/Sumac/prodigiosa/cantante/peruana/elpepinec/20081105elpepinec_2/Tes
伊高先生から下記の寄稿をいただきました。
歌声を聴きたい方は
オフィシャルHP  
http://www.yma-sumac.com/index.htm
またはYouTubeにYma Sumacと入れて検索してください。

******************:

寄稿  伊高浩昭

 ペルー人ソプラノ歌手イマ・スマック(本名ソイラ・チャバリデカスティージョ)が11月1日、ロサンジェルスの病院で死去した。出自に謎が多いが、1922年9月10日カハマルカ州イチョカン生まれとされ、86歳での死とされる。結腸癌を患い、8カ月間入院していた。
 私(筆者)は1972年11月にリマ取材中、中心街の大統領政庁のすぐ近くにあった円形劇場で、帰国していた彼女の歌を聴いた。切符売り場に長い行列ができていたので興味を抱き、切符を買って入ったところ、幸運にも歌姫の公演に居合わせることができたのだった。彼女がちょうど50歳のころだ。
 私は舞台から遠い3階席の奥の席をあてがわれていたが、歌声を聴いて驚いた。初め、小鳥が劇場内を飛び回ってさえずっているような錯覚に見舞われた。実は、彼女が歌っていたのだ。近くにいた年配のペルー人と目が合うと、そのペルー人は「彼女の声域は4オクターブ以上なのだ」と誇らしげに教えてくれた。私は、彼女のカセットを幾つか買って資料とした。当時は、CDのない時代だった。
 その後リマに行く度に、あのときのようにイマ・スマックがひょっとして一時帰国し公演しているのではないかと劇場を当たったり、新聞の興行欄を調べたりした。だが、再び彼女の姿を見る機会はなかった。
 彼女は第2次大戦後、ニューヨークを拠点に「インカ・タキー」というトリオを組み、「インカ皇帝アタウアルパの末裔に当たる皇女」を名乗って歌った。天性の歌声と「アンデスの香りのする化粧をした美女」の風貌で1950年代に大ヒットする。夫モイセス・ビバンコは作曲家にして楽団指揮者だったが、彼が妻の歌う歌の編曲や舞台での演出で力を発揮した。60年代にはソ連(当時)で、ボリショイ管弦楽団と共演した。そのころ拠点はロサンジェルスに移していた。
 2006年には、故国ペルーの最高章「ペルー太陽章」を受賞した。「故郷を捨てた大スター」としてペルー人から「裏切り者」のレッテルを張られ、つらい思いをした時期もあったようだが、受賞によって心が癒されたに違いない。我が家のどこかにしまってあるはずの古いCDを見つけ出して、ピスコを飲みながら久々に彼女の歌を聴き、36年前の劇場の情景を懐かしみつつ追悼することとしよう。