2008年8月8日金曜日

ラテンアメリカ航行中(伊高先生より)

伊高先生よりお便りが届きました。
秋からの授業が楽しみですね。私も受講したい・・・
¡Qué envidia!

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船は、米フロリダ州タンパ港を7月末に出て、メキシコ湾を南西に走り、クーバ西端と墨ユカタン半島の間を通ってカリブ海に入りました。

中米沿岸を南下し、8月1日パナマ運河カリブ海側のコロン市サンクリストバル港に入港しました。

パナマ先住民族7言語集団のなかのエンベレ人の集落を、熱帯雨林のなかを流れるガトゥン川を伝って訪れ、数時間取材しました。

1年半前まで、コロンビア国境地帯のダリエン地峡に住んでいたのですが、コロンビア領内から侵入してきた極右準軍部隊か左翼ゲリラか判然としない勢力に攻撃されて、パナマ中央部に移住してきたものです。 エンベレ人は、男女とも植物の汁で刺青をしますが、数週間で自然に落ちてしまう種類の刺青で、いわば健全なものです。いずれ、この訪問記は原稿にします。

パナマ運河は5回目の通行でした。運河第3水路の建設現場は見ることができませんでした。パナマ運河開通100周年の2014年に第3水路は開通するとのことですが、保証の限りではありません。

運河は太平洋側出口のバルボア港の真上で、汎米道路が走るラス・アメリカス橋と交差します。この地点を「世界の十字路」と呼びますが、その辺りから左手彼方にはパナマ市が見えます。来るたびにスカイラインが高く幅広く拡大しています。建設景気で沸いているとのことですが、新自由主義的路線のなせる業でしょう。

その後、グアテマラのケッツァル港に5、6両日停泊しました。

マヤ民族とラディーノ(混血)の女性達が仲良く「女性の地位向上」に努めているテクパン市を訪問し、マヤ人宅に泊まって取材しました。これまた長い記事にまとめます。

受講生のM記者はきょう6日、成田を経ったはずです。メヒコ留学時代の幕開けですが、同君の墨国滞在が実り多きものとなるのを祈ります。

ではまた、お元気で、080806 サルバドール