2011年3月28日月曜日

波路はるかに~伊高先生の船上便り(12)

PBオセアニック号は、3月24日未明、ポートサイドからスエズ運河に入った。明け方、日本が資金を出して建設した、全長5キロの巨大な「日エ友好橋」の下を通過した。運河は(明治維新翌年の)1869年に開通したが、建設技術は、日本が江戸末期だったころの欧州とエジプトのそれだった。東方の紅海の出口ポートスエズまで、右側がエジプト本土(アフリカ大陸)、左側が同国シナイ半島(アジア入り口)で、半島は一面の砂漠だ。半島の彼方にはイスラエル、パレスティナ、レバノンと、動乱の地が拡がっている。本土側は水路の淡水のお陰で緑があり、集落がある。運河防衛のための軍事施設や、中東戦争の記念碑がある。第一次世界大戦時の「運河防衛記念碑」もある。渡河用の浮き橋の備えもある。

パナマ運河と比べて、運河の幅は実に広い。だが両岸から砂が絶え間なく流れ込んで、浅い。だから対面航行が出来ず、船団を組んで運河に入航し、運河内にある湖で、前方からやってくる船団と待ち合わせた上ですれ違うのだ。浚渫船が活躍しているが、対症療法のようで、水深を増すのにはあまり役立っていないような印象を得た。

午後2時ごろ、ポートスエズをかすめて紅海に入った。チュニジア、エジプトの政変を生み、いま欧米軍に攻撃されている内戦さなかのリビヤのある地中海を後方の彼方に意識しつつ、サウディアラビアのジッダを目指す。

2011年3月24日紅海にて

伊高浩昭