2009年4月6日月曜日

立教大生のための講座ガイダンス(新座キャンパス)


桜が満開の新座キャンパスにて立教大学新入生のための講座ガイダンスが行われました。

立教大生がラテンアメリカ講座に登録する場合には8割引という大幅な登録料の割引があります。
ラテンアメリカ講座には立教大学の卒業生が数多く学んでいるのですが、なかには、在学時にはラテンアメリカ講座の存在を知らなかったという人もいます。そんなことのないように、そしてスペイン語、ポルトガル語を学んだり、ラテンアメリカを知るには、他のどこよりも恵まれた環境にある講座を知ってもらうためのガイダンスです。

立教大生は作文や面接などは免除になっています。
ぜひ直接公開授業(お試し期間)に足を運んでみてください。

その後の懇親会(フィエスタ)でもお待ちしております。

2009年4月4日土曜日

桜便り(ミッチェル館)


受講生の皆さん、そして、今年からラテンアメリカ講座を受講する予定の皆さん、お元気ですか?

昨日のミッチェル館の桜をお届けします。
今年は早めに咲くかなと思っていましたが、ここしばらくの寒さで開花も足踏み状態となり、昨日あたりが8分咲きから満開だったようです。

もう少しでラテンアメリカ講座が始まりますね。
現在、事務局はやっと2008年度の仕事がほぼ終了し、立教大生向けの講座ガイダンスや、一般向けの受講オリエンテーション(今年から試験的に面接を取りやめ、その代りに外国語のレベルを知るための作文を導入)の準備を行っています。

今年は大幅に講座の内容も変わりました。前にもまして、多様な新入生との交流が始まりますね。
今年の新旧交流会である懇親会(18日17時より)で、どんなお話を聞けるのか楽しみにしています。

2009年3月23日月曜日

ブエノスアイレスで盛大に<石蹴り遊び>

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト)

【先月、本欄に「コルタサル没後25周年に寄せて」を寄稿しました。その続報をまとめました。】

 アルヘンティーナの作家フリオ・コルタサル(1914―84)の没後25周年記念行事は、祥月命日の2月12日から続けられていたが、3月21日、この作家の代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』(1963年)に因んだ大がかりなパフォーマンス「ラユエラルテ」で終わった。

 「ラユエラルテ」とは、ラユエラ(石蹴り遊び)とアルテ(芸術)を組み合わせた言葉。ブエノスアイレスの目抜き「7月9日」大通りの120カ所に貼り付けられた縦8メートル、幅2メートルの石蹴り遊び場と、これを描いた創作行為そのものを意味する。ポルテーニョ(港人=BsAs子)や旅行者は童心に返って1時間、石を蹴り飛び跳ねて遊んだ。

 大通りのアスファルトに、原色を組み合わせたサイケデリックの美しい彩りで遊び場を出現させたのは、亜国の造形作家マルタ・ミヌヒーン。数十人の演奏家がサクソフォーンで、コルタサルが好んだチャーリー・パーカーのジャズを演奏するなか、人々はコルタサルの本などを提示して、石蹴りに参加した。

 予定の1時間が過ぎると、遊び場ははがされ、車がひっきりなしに走る普段の大通りに戻った。この粋なハプニングないし「アルテ・エフィメロ(はかない芸術)」を企画したのは、首都市庁文化局。タンゴの本場でジャズというのが、セピア色っぽく床しい。

(了) 

2009年3月21日土曜日

修了式(entrega de diploma)


修了証書を手に

今日は待ちに待った修了式。
長い方で10年、短い方で2年、平均すると3~4年かけて、修了に必要な単位を取得して卒業する。
ありがたいことに、ラテンアメリカ講座の修了生は立教大学総長から一人一人に修了証書を手渡される。立教大学の卒業生であっても、総代でない限り、総長から直接に卒業証書をもらうことはない。ラテンアメリカ講座の修了生はとても恵まれていると思う。

受け取った修了証書を手に、修了生が一人一言ずつ話す。どうやって、この講座と巡り合ったのか、そして、ここでどのように自分がラテンアメリカとのかかわりを深めたのか、どのような仲間と出会ったのか、これからどうやって行くのか。

ラテンアメリカ講座には社会人が多い。この数年間を振り返り、仕事と勉学をよく両立してきたなという感慨にふける方もいる。

なかには、途中で大病を患ったり、職場で部署の移動があったり、結婚をしたり、さまざまな事情を乗り越えて通い続けた人もいる。そんな思いのたくさん詰まった修了証書である。

修了生一人一人が、総長や所長の前で一言ずつ話すのだが、何人かが「これで終わりではなく、次の新しい一歩を踏み出す」と言っていた。

このままずっとラテンアメリカ講座で勉強を続ける人もいる。さらに大学院で勉強を深める人もいる。長い歴史を持つラテンアメリカ講座には、さまざまな道を歩いている先輩たちが存在する。

ラテンアメリカ講座とラテンアメリカ研究所はいつまでも受講生のHOMEであり続けたいと思う。
ここから巣立つ人も、継続する人も、

¡Aquí tiene su casa!

2009年3月12日木曜日

春休み


春休みは何をして過ごす?

多くの場合、1月第1週から授業がないラテンアメリカ講座の場合は、そんな会話もよく聞かれる。
週末休みに旅行を計画する場合もあるだろう。

ラテンアメリカ講座にとって春休み中の大きなイベントは3月の修了式である。
全員が修了するわけではないので、修了生は毎年1桁台である。
今年の修了生は9名。2年で修了することも可能であるが、通常3年以上かかる。
ほとんどの受講生が仕事を抱えワークライフバランスに悩みつつ、週末に立教のキャンパスに通い、修了証書を手にする。

多くの公開講座のように、数回で終わるか、長くても数か月で終わる講座とは異なり、何年も通い、Diplomaを手にするのはどんな気持ちだろうか。

事務局の春休みは忙しい・・通常でも忙しい上に、今年のように様々なことが重なると帰宅するのが10時過ぎで、いっそのことオフィスに泊まりたいということもよくある。

そんな中で、この修了式は厳粛な気持ちになり、この仕事の素晴らしさを実感できる瞬間である。
おそらく、それゆえに立教大学総長も毎年この式に参加してくれるのではないかとひそかに思っている。

2009年2月25日水曜日

2009年春:勉強法のお知らせ

こんにちは。
春休みに入って1か月以上が経ちました。
皆様、いかがお過ごしですか?

2月14日に2009年度の講座案内をホームページに掲載しましたが、ご覧いただけたでしょうか?
さて、春休みはそれぞれの過ごし方があるようですね。
修了式のご案内をした方の中には、海外にいらした方もいたようです。

勉強会を企画して、春休みの間も別の形式で勉強を続けている人たちもいるようです。
そんなグループのひとつから、勉強会のお知らせをブログで案内してほしいとの連絡がありました。

他にもそのようなお知らせがありましたら、どうぞご連絡ください。

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各位  「回し読みの会」のご案内

スペイン語の童話や児童書の回し読みをしませんか?「回し読み」にするのは、少ない費用で数多くの図書を手に取るためです。「童話や児童書」を選んだのは、多読を通じて脱初心者といきたいからです。
ご存知のとおり、ハードカバーの値段は児童書といえどもバカになりません。三〇冊、四〇冊読むつもりなら十万円近くかかるかも知れません。「回し読み」なら一人数千円出せば、数十冊を読む機会に恵まれます。
私達二人はスペイン語初心者ですから、いきなりMarquezやLlosaから入るわけにはいきません。怠け者の中年なので新聞やラジオから始めるのもおっくうです。とくに今回はスペイン語を読むことを楽しみたいので、なるべくなら辞書をあまり引かず、くり返し読めば内容が分かるレベルにひたりたい。だから「童話や児童書」を選びました。イラストを頼りにすれば語学力に難があって何とか見当はつきますもの。
各自数冊買って、読み終えたら簡単なコメントと共に次の人に送る。そうしたやりとりを一週間に一度ずつ続ける。一ヶ月に一度くらいは合評会を開きたいですね。もちろん読めなかった箇所を教えあう機会でもあります。
問題になるのは本の選択です。ネット書店「ミランフ洋書店」が頼りになります。

http://www.miranfu.com/19.html

このお店、取扱書籍を選ぶ基準がハッキリしています。1.ストーリーや内容がおもしろいもの。2.文章が美しく、イラストレーションも楽しめるもの。3.英米の有名作品の翻訳や名作版のリライトでないもの。4.高価すぎないもの。
気に入っているのは3と4です。ハリーポッターも勉強にはなるでしょうけれど、スペイン語で書かれた作品にふれるのが学習者の醍醐味というものでしょう。4を気に入っている理由は言うまでもありません。サイトを読んでいただければお分かりのように、このお店、読む快感を味わいたい者にとって最良の味方になってくれそうです。
むろん店長ご自身が取扱書籍のすべてに目を通しています。ちなみに店長は『ペドロの作文』他、スペイン語の児童書の翻訳者で知られる宇野和美さん。スペイン語通信添削講座イスパニカの講師もなさっていらっしゃいます。メール交換した感じからしてフレンドリーで、信頼のおけそうな方です。
書籍はすべて難易度別に「はじめて読むなら」から「自信がついたら」まで4段階に分け、それぞれ10数冊を販売しています。5人いれば数ヶ月で読み終えられるかも?

趣旨にご賛同の方は下記宛てにメールを送って下さい。
お時間が合えば3月1日(日)午後2:00、大学近くの公民館でお会いしましょう。ご参加の程、心からお待ち申し上げております。


モリベ:moribe@magazine.co.jp
サトウ:fuyu7400@yahoo.co.jp

2009年2月18日水曜日

コルタサル没後25周年に寄せて

伊高浩昭(ジャーナリスト)

 パリを拠点に活動した亜国人作家フリオ・コルタサル(1903~84)が死んでから二〇〇九年二月一二日で二五年が過ぎた。コルタサルですぐに浮かぶのは、代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』である。一九六一年の作品で、日本では八四年に訳書(土岐恒二訳、集英社)が出ている。「アルヘンティーナの正体をつかむには、その恥の側面から立ち向かい、幾多の論客が説明してきたように、一世紀にわたるあらゆる種類の権利侵害によって隠蔽されてきた、顔の赤らむ恥辱を探求する必要がある。だが、アルヘンティーナの数々の卓越性をむなしくこき下ろす道化役者となるだけの元気が誰にあるだろうか」――『石蹴り遊び』に出てくるこの箇所が好きだ。

 「あんた、アルヘンティーナの悲劇は老人に牛耳られていることにあるって言ったんじゃないの」―「その悲劇もすでに幕が下りてしまったのさ」。こうも書いている。コルタサルはペロン政権時代の四六年、メンドサのクヨ大学で南欧文学の教授をしていたとき、教育現場や文化への介入を強めたペロン体制を批判して大学を去った。五一年にパリに移って、この代表作を書いた。ペロンもやがて政権を追われ、スペインに亡命する。

 だがペロンは亡命先のマドリーから七二年、ブエノスアイレスに一七年ぶりに帰還し、翌七三年、不死鳥のごとく政権に返り咲く。私は当時、何度もブエノスイアレスに行って政治情勢を取材していたが、さまざまな傾向をもつペロン派は政権復帰を目前にして誰もが主人公になりたがっていた。コルタサルが一〇年ちょっと前に『石蹴り遊び』に書いた「自分たちは純正なるアルヘンティニダー(亜国性)の模範だと信じ込んでいるのに、実はただの馬糞の中に浮かび漂っているだけと知ったら、仰向けに卒倒することだろう」という痛烈な皮肉は、ペロン復活前夜の時代に色あせずに生きていた。私は、記者会見でペロンと握手して会話したり質問したりし、街を歩き回っては、ペロン復活政権の成り行きを細かく追っていた。だから、コルタサルの描写に強く惹かれたのだ。

 政権に復帰したペロンは高齢に加えて難病もちで、一年ももたずに死んでいく。後継のイサベル夫人の政権は七六年に軍政に取って代わられ、亜国は八三年の民政移管まで六年あまり殺戮と弾圧の巷と化す。コルタサルはそのころから八〇年代初めにかけて、サンディニスタ革命前夜と革命後のニカラグアに何度か足を運ぶ。その体験を『かくも激しく甘きニカラグア(ニカラグア・タン・ビオレンタメンテ・ドゥルセ)』にまとめ、死の年、八四年に著す。日本では八九年に訳書(田村さと子訳、晶文社)が出た。「ふたたび、ソレンティナーメへ」の章に、「(七九年七月一九日のサンディニスタ革命後も)貧しい生活に変わりはなく、熱帯の猛暑、あの熱帯のけだるさ、錯綜、重症のマチズモなどにもかかわらず、ラ米の酷熱帯の縁で、薔薇色やオレンジ色から緑色のビロードに転じる日暮れのように、ニカラグアはかくも激しく甘く、やがて、降るような豹の目にみち、むせるように香る、濃く厚い夜が落ちてくる」と書かれている。この本の題名はここから来ている。ソモサ独裁時代の六九年からニカラグアを取材してきた私にとって、この本も味わい深い。

 コルタサルは、「世界中のあちこちに亡命している無数のラ米人の亡命が、何らかの意味をもつものであるとしたら、苦悩や望郷の念がもたらす否定的側面ではなく、ブーメランを恐るべきものと成す威力を生み出す全面的転換、帰還の力である。この帰還の意志を失くしていないかぎり、その人の能力や想像力はラ米の民衆に貢献できるだろうし、またそうでなければならない」――ニカラグアについての本の「ラ米における作家とその役割」の章でそう書いている。欧州亡命中のコルタサルは、極悪の軍政の支配する祖国には帰らなかったが、〈大なる祖国〉ラ米に包含されるニカラグアに〈帰還〉し、滞在した。「亡命者の帰還」という点で、コルタサルはペロンの帰還をどう受けとめていたのだろう。コルタサルは、ペロンの右腕で、ペロンの最終的な帰還に先立ってペロン派政権を復活させた左翼のエクトル・カンポラ大統領とは和解していた。 ラ米に連なるスペイン語圏一八カ国。コルタサルにとって、あるいはすべてのラ米人にとってラ米全体が〈祖国〉なのだ。物書きにとって決定的なのは、表現するため用いる言語である。翻訳が不要な国々の連なり、見事すぎる! ペンの徒のはしくれとして、羨ましい。ラ米の延長線上には、米国支配下の西語圏の島プエルト・リコがある。さらには米国内の西語社会の広がりがある。

 コルタサルは八三年、〈小さな祖国〉アルヘンティーナに一時帰国した。民政移管によってアルフォンシン政権が登場したころで、友人や市民から温かく迎えられた。軍政は、八二年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北で決定的な打撃を受けてついえた。コルタサルは同年書いた「ニカラグア素描」の章に、「いかなる国も自国の利益や主権が他国によって侵されようとすると怒りを爆発させるもので、多くの場合、必ずしも思慮深いとは言えない愛国心を利用しようと待ちかまえている体制の挑発に、うかつにも乗せられたり操作されたりしているのだ。現在起こりつつあるマルビーナス諸島をめぐる英国とアルヘンティーナがいい例だろう」と記している。

 この戦争を亜国側から報道し、戦後二回マルビーナス諸島を訪ねた私は、コルタサルの言うとおり、愛国心の洪水を目の当たりにした。日本で知られる亜国人歌手グラシエラ=スサーナ・アンブロシオも、ブエノスアイレスで義捐金集めの愛国行進に参加していた。私は〈小さな祖国〉日本に、愛国心が武装する時代が二度と来ないよう、職務を通じて努めるのがジャーナリストの使命だと心したものだ。

 日本人には、ラ米人がもつラ米のような〈大なる祖国〉はない。ならば、周辺のアジア諸国とともに〈大なる祖国〉を築く共通目標を定め、そのような方向に変わっていかなければなるまい。さまざまな言語をもつ欧州人が欧州連合を実現させたのを、困難さにおいてはるかに上回る偉業を達成しなければならない。コルタサルが四半世紀前に表したニカラグアについての本も依然、問題を提起しつづけている。だから新しい。(了)