2011年4月28日木曜日

「黒い伝説」におけるスペインとアメリカ世界―神話と伝説―

上智大学イベロアメリカ研究所で開催される講演会のお知らせです。

講演者は、Francisco Garcia Serrano博士で、サン・ルイス大学マドリッド校でイベロアメリカ研究部長として歴史学の教鞭を執られています。ご専門は、スペイン中世史です。今回のテーマは、有名な「黒い伝説」です。スペインが行ったアメリカ大陸における征服活動、植民地
経営に対して、敵対する他のヨーロッパの国々は否定的な評価を下し、これは「黒い伝説」
として広く流布しました。この「伝説」は当時のみならず、今日に至るまで政治や学問の世
界に少なからぬ影響を及ぼし続けていることに注目し、その神話と現実について分析して
いただけるそうです。言語はスペイン語のみで通訳はありませんが、このテーマを研究している方々には必見です。

2011年5月12日(目) 17:30~19:30
上智大学中央図書館8階821会議室
参加費無料:予約不要

詳細はこちら
http://www.info.sophia.ac.jp/ibero/

2011年4月23日土曜日

カリブ海とクナ族のモラ展

 

パナマのカリブ海沿岸に暮らすクナ族の「モラ」アップリケ刺繍の展覧会のご紹介です。

 世田谷区三軒茶屋にある、世田谷文化情報センター「生活工房」において、「7 つの海と手しごと展」が開催され、その最初に、パナマのカリブ海沿岸に暮らす先住民・クナ族の、「モラ」という民族衣装に施された美しいアップリケ刺繍の展覧会が開催されます。講演会もあります。

 詳細は下記のウェブサイトをご覧ください。

 http://www.setagaya-ldc.net/modules/events/event_detail.php?id=33

2011年4月18日月曜日

波路はるかに~伊高先生の船上レポート(22)最終回

 PBオセアニック号は4月15日正午石垣島沖、16日正午奄美大島沖、17日正午四国沖を通過し、現在は紀伊半島の北東端沖をかすめつつある。1月23日に始まったピースボートの世界一周航海も86日目の明日、横浜港に帰着して終わる。欧州の航海者たちが16世紀に経験した世界一周航海を、私は500年後に果たしたことになる。今航海は、私の世界観を補強する貴重で具体的な材料になった。

 ここで久々にラ米情勢を2題語りたい。一つは4月16日、キューバ共産党第6回大会がハバナで開かれたことだ。その意義については、『世界』(岩波書店)4月号に書いたが、市場制度を導入して経済改革をし、社会主義体制の存命を図ることだ。16日は、フィデル・カストロが社会主義革命宣言をした日の50周年に当たる。

 開会演説で、ラウール・カストロ共産党第2書記(国家評議会議長)は、長文の中央委員会報告を行なった。冒頭で、「我々は米国の鼻先で社会主義革命をやった。労農諸君、これは貧者の、貧者とともにある、貧者のための社会主義革命であり民主主義革命だ」というフィデルの50年前の発言を掲げて、「その革命を活性化するのが大会の目的だ」と強調した。19日まで続く党大会の様子は、5月の講座で細かく話したい。

 もう一つは、4月10日に実施されたペルー大統領選挙についてだ。民族主義者の元軍人オジャンタ・ウマーラ(48)=ペルー勝利党=が得票率31%で一位、アルベルト・フジモリ元大統領の長女で国会議員のケイコ・フジモリ(35)=2011年の力党=が同23%で2位になり、2人が6月5日実施の決選投票に臨むことになった。

 トレード前政権で経済相と首相を経験した米国よりのペドロ・クチンスキ(大転換のための同盟)18%、前大統領アレハンドロ・トレード(ペルー可能党)15%、元リマ市長ルイス・カスタニェーダ(国民連帯党)9%、その他6人の泡沫的候補が敗れた。クチンスキ、トレード、カスタニェーダの新自由主義経済信奉者3人の敗北は、ペルーの貧困層が「野蛮な資本主義(新自由主義)」に強い不満を抱き続けていることを示した。新自由主義路線を継承したガルシア現政権への強烈な反対の意思表示でもある。

 ウマーラとフジモリは、いずれもアンデス高地など貧困率の高い地方部で票を伸ばした。ウマーラは前回大統領選挙でも得票1位になりながら、「急進性」を警戒されて、2位のアラン・ガルシア現大統領に決選で勝利を持っていかれた。ペルーの保守、有産、親米層がこぞってガルシア支持に回ったからだ。ウマーラは「チャベス(ベネズエラ大統領)寄り」と悪宣伝されたのが響いた。ウマーラはこの敗退に学び、決選に向け多数派工作のため柔軟な交渉姿勢を見せている。

 ケイコも同じだ。得票3位以下の3候補の票をより多く獲得しなければならないからだ。ケイコは、「独裁者にして犯罪者の父大統領の娘」、「大統領になるのは服役中の父親を恩赦するため」などの攻撃をかわして2位に滑り込んだ。ウマーラオ同様、都市の中産層を引き付けるのに躍起だ。

 念願のノーベル賞を去年やっとものにした作家マリア・バルガスジョサが代弁者の役割を果たしているペルーの保守・右翼・有産層は、今選挙で新自由主義を否定され、最大の敗北者になった。候補者を一本化できなかったのも敗因だろう。決選投票は予断を許さない。決選までの推移を見守っていこう。

 では受講生のみなさん、5月7日に会いましょう。

2011年4月17日、紀伊半島沖航行中のピースボート・オセアニック号船上にて、
伊高浩昭

2011年4月14日木曜日

波路はるかに~伊高先生の船上レポート(21)

 PBオセアニック号は4月13日午前10時半、マニラ港に着岸した。彼方に中心街のスカイラインが見える。港の近くには、スペイン支配時代のサンティアゴ要塞跡の、城壁に囲まれた旧市街がある。だが、お目当てはそこではない。港の外れの、幾つかの川の河口付近に密集しているスラム街を訪ねるのが上陸の目的だった。ピースボートの「社会的交流ツアー」の一環だ。住民の生活を支援している地元NGOの案内で回った。

 港の周辺には延々とスラムが連なり、その悲惨さは凄まじい。川には「ボートピープル」の小舟の群がひしめき、川の橋の下には高床式の小屋がびっしり建ち並び、川には筏式の「浮かぶ小屋(フローティングハウス)」があふれていて、すべてが巨大な超貧民街を形成している。その規模の大きさに、一瞬、「美」さえ感じたものだ。

 だがスラムに入ると、耐え難い悪臭、腐臭、下水臭が蒸気のように立ち込めている。川は真っ黒などぶ川で、メタンガスが泡を吹いている。首の無い犬の死体が浮いている。汚物、ゴミが水面を広く覆っている。そんな恐るべき川で、少年たちが橋から飛び込んで遊んでいる。この光景、まさにシュールレアリスムと言うしかない。

 このようなスラムの3カ所を回った。うち2カ所は市当局から立ち退きを命じられているが、代替地が見つからないため、人々は住み続けている。街と街の間は、小型トラックにバスの車体を載せたような乗り合いの「ジプニー」で移動した。車内にこびりついた臭いが鼻をつく。オートバイが客室を横に付けた、計3輪の「トライスクル」、自転車が客室を付けた「ペディーキャブ」が群れなすようにして走り回っている。みな、一走り20円以下の庶民の脚だ。

 足を踏み外せば奈落のようなどぶ川に落ちること疑いない危うい板切れをつなぎ合わせた10mぐらいの「橋」を伝って、筏小屋に入った。9人家族で、親たちは15年前に地方から出てきてずっと住んでいるという。1日3食で100ペソ(2米ドル半=約200円)かかるため、月に食費として最低75ドルは稼がねばならない。家長は魚を釣って売ったり、建設労働者として働いたりして生活費を捻出していると聞いた。母親は「子どもに教育を受けさせたい。いつかもう少しましな家に住めたら」と、控えめに希望を語った。ここの筏小屋群には約30家族、計200人が住んでいる。

 橋の下の住民は、コウモリのようにぶら下がって生きるという形容から、「バットピープル」と呼ばれている。満潮時に浸水しない高床式の小屋が密集しているが、一部は台風が来たときに波に削られ流されてしまったという。住民たちは無表情かつ無愛想で、ビンゴに集中していた。大人たちは小銭をかけて遊ぶ。

 広大なゴミ捨て場の脇で、ゴミの山から金属片やプラスティックを探し出し、それを売って生計を立てている人々の住むスラムにも行った。かつては「スモーキーマウンテン」が名高かったが、いまはない。だが規模は小さくなるが、ゴミ捨て場はあちこちにある。

ある少年は、「何日かかけて僕の背丈の倍ぐらいゴミをあされば、200ペソぐらいにはなる」と言っていた。家族の食費は月3000ペソ前後だから、少年の稼ぎだけでは足りない。父親は建設現場で仕事があれば、賃金を稼ぐ。主婦たちは幼子や乳飲み子を連れていた。若い女には妊婦が多かった。みな、生活苦を一瞬でも忘れたいためだろうか、笑顔を作っていた。
「ゴミの街」には2000世帯、計3万7000人が住んでいる。

 都市計画で建設された下水道にも住民がいた。これは「トンネルピープル」だ。家長が失業者の10家族、計70人が住んでいた。漁港に行って魚を運ぶ賃仕事を得て、わずかな日銭を稼いで飢えをしのいでいるという。

 「増幅し放題のアジア的貧困」を見た。それは政治の貧困の累積した結果でもあるはずだ。

 船上に幾つかのNGOの人々が集まってくれた。別の交流ツアーに協力してくれた組織だ。「ジャピーノ」(日比混血児)たちは、「私たちは強くあらねばならない」という歌詞を繰り返す歌を歌った。買春問題に取り組む組織に支援されている8歳の少女を含む、買春の犠牲になった20歳にも満たない娘たちは、「ウイー・シャル・オーヴァーカム」を合唱した。胸が痛んだ。彼女たちは過去を本当に克服できるのだろうか。克服してほしい、と願わずにはいられ ない。
 
この日、各種の交流ツアーで会った子どもたちは、大震災に見舞われた日本の子どもたちに贈ってほしいと、一人1ペソずつ募金箱に入れてくれた。どぶ川で泳いでいた少年、ゴミの山で掘り出し物を探していた少年、橋の下でうつむいていた少女、筏小屋の少女。そして買春の餌食になった少女たち。彼らの姿が目に浮かび、熱いものが頬を伝わり落ちた。

2011年4月13日
マニラにて 伊高浩昭

2011年4月13日水曜日

波路はるかに~伊高先生の船上レポート(20)

 「PBオセアニック号は4月11日、ボルネオ島北側のマレーシア・サバ州都コタ・キナバル(KK)に寄港した。シンガポールから南シナ海を北東に五十数時間航行して、朝方に到着した。戦時中、日本軍が拠点を設け、連合軍と攻防戦を展開した地だ。同じ熱帯でも、赤道に近いシンガポールよりもKKの方が暑く、歩くだけで汗が流れる。

 この地域の深刻な問題は、森林の乱伐が進み、生態系が破壊され、生息する動植物、とりわけオランウータンの個体数が急速に減りつつあることだ。先日インドのコーチンで、マレーシアから輸入された丸太が港の一角に山積みされているのを見て、背筋が寒くなる思いをしたが、この丸太の大方の出所がボルネオ島なのだ。

 オランウータンを絶滅の危機から救おうと幾つかの取り組みが進められている。その一つが、「ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTジャパン)」という組織だ。その理事である坂東元・旭山動物園長が船上講師としてシンガポールからオセアニック号に乗り、同組織の取り組みについて講演した。そのこともあって、動物園に行った。「野生を失わせてはいけない」という理由で、人間に慣れたオランウータンが1匹だけ展示され、芸を演じていた。船客たちはオランウータンを救うため、「緑の回廊」を築く同組織の運動にカンパし、かなりの浄財が集まった。

 KKの街は発展している。イスラム教国であることと関係すると思うのだが、いくら探しても酒類の販売店が見つからなかった。酒場やレストランで飲む酒はあっても、船に持ち帰る酒は買うことが出来なかった。特定の販売店に行かなければ手に入らないのかもしれない。
船は日没直前にKK港を出航し、南シナ海を再び北東に進路をとり、最終寄港地マニラに向かい始めた。かつて海賊が出没した海域であるため、夜間航行中は窓のカーテンを閉めるのが義務づけられ、デッキでの散歩も規制される。

2011年4月11日
船上にて 伊高浩昭

2011年4月9日土曜日

波路はるかに~伊高先生の船上便り(19)

 船がインド洋本洋から、その北東端のアンデマンダン海南端と、スマトラ島(インドネシア)北端をかすめてマラッカ海峡に入って3日目の4月8日朝、左舷側のマレー半島と右舷側のスマトラ島が接近するころ、左舷側の彼方にシンガポールのラスカシエラス(高層ビル群のスカイライン)が見えた。海上から天にそびえるこの摩天楼は、ニューヨークの4分の1くらいの規模だろうか。港は、まさに海岸の開発地にあり、ガウディの曲線とピサの斜塔の傾斜を併せ持つような大型ビルが建設中だった。港の上を、隣接する島に繋がる空中ケーブルカーが頻繁に行き来している。

 だが都市国家シンガポールの手前の海岸は、マレーシア領を含めて石油コンビナートと貯油タンク基地が連なる。港の外は、沖待ちのタンカー、油化タンカー、コンテナ船、貨物船などがひしめき、水先案内人の舵さばきで船は徐行する。巨大船の谷間のような海に、小さな手漕ぎの漁船が出漁し、魚を釣っている。「アジア的情景」の名残を、小さな漁船に見た。一帯の光景は、経済の隆盛を反映させながらも、乱開発の危険性を感じさせ、経済成長期に破壊された日本の海岸線に思いを馳せた。地球は、この地でも悲鳴を上げている。
 
私は小学校時代に、南洋一郎(みなみ・よういちろう)の「海洋冒険小説シリーズ」に親しんだ。そのなかに、題名の記憶は定かではないが、『深海の魔魚』とかいう本があった。
マレー半島南端とシンガポール島の間のジョホール水道が舞台で、「畳10畳もの大きさの頭を持つ」大蛸が出没し、航行する船の人を海に引き込んでは餌食にしていたが、主人公が退治に乗り出したところ、その主人公も体を絡め取られ吸盤で吸いつけられ、あわや海に引っ張り込まれそうになる。その瞬間、部下のマレー人が毒を塗った吹き矢を放つ。矢は大蛸の脚に命中し、主人公はからくも海に引き込まれずに助かる。それから何日から経ってから、海面に大蛸の死体が浮いていた。。。。というような物語だ。
 
以来、私は、いつの日かジョホールの海を訪れたいと思い、願っていた。それが、ついに叶った。シンガポールから地下鉄を乗り継ぎ、バスに乗ってジョホール水道上の橋を渡り、マレーシアのジョホールバルに行き着いたのだ。マレー人、華人、インド人らが入り混じった他民族の街で、頭部を布で覆ったマレー人女性イスラム教徒の姿がちらほら見られた。時間の都合で、ビールを飲み、街を少し歩いただけで、再びジョホール水道を越えてシンガポールに戻った。往復ともに出入国管理所と税関を通る。私は朝、船でシンガポールに入港し、夕刻、マレーシアからまたシンガポールに入国したことになる。
 
 幅300mかそこらの狭い水道で、船は航行しない。マラッカ海峡とシンガポール海峡を伝ってインド洋と南シナ海(太平洋西端)が結ばれているため、水道の航行価値がないからだ。私は、ジョホール水道を2度バスで越え、ジョホールバル側から水道の畔に立って、小学生時代からの夢が実現したのを静かに喜んだ。
 
夕食は、港に近い中華街で食べたが、味が濃くて辛く、慣れ親しんでいる横浜中華街の味に軍配を上げた。地下鉄内で観察した、圧倒的に華人が多いシンガポール人の表情は、経済が発展した「第1世界」の労働者・勤労者のそれで、日本の電車内とあまり変わらない。生活と社会の発展が、人間を小ざかしくし、つまらなくするのだ。だが私は中年の華人から座席を譲られた。「シェーシェー」と言って、座らせてもらった。彼は笑顔を見せてくれた。このとき、かすかに人間味を感じることができた。9日午前零時、船は出航し、マレーシアのボルネオ島の飛び地にあるコタキナバルに向かう。

20110408
シナガポール停泊中のPB船上にて
伊高浩昭

2011年4月7日木曜日

第59回ベルリン国際映画祭  金熊賞受賞作品「悲しみのミルク」(原題:La teta asustada)

立教大学の桜も満開となりましたが、まだ学生の少ないキャンパスです。
そんな中、ほんの少しだけですが、講座新規受講の問い合わせが始まりました。
愛読書が心を救ってくれるように、映画好きの方に特別素敵な映画のお知らせです。

・・・・・
第59回ベルリン国際映画祭 金熊賞受賞作品 『悲しみのミルク』(原題:La teta asustada)
マリオ・バルガス=リョサのノーベル文学賞受賞に沸く、
南米ペルーの新しい才能――映画監督・クラウディア・リョサ。
バルガス=リョサをおじに持つ彼女の映画には、詩と生命の力が漲っている。

【STORY】

ペルーに暴力が吹き荒れていた時代に母親が経験した苦しみを、母乳を通して受け継

いだと信じている娘・ファウスタ。美しく成長した今でも一人で外を出歩くことがで

きない。しかし、歌を残し逝ってしまった母を故郷の村に埋葬しようと決めたファウ

スタは、その費用を稼ぐため、街の裕福な女性ピアニストの屋敷でメイドの仕事を始

める。ファウスタが口ずさむ歌に心を引きつけられたピアニストは、真珠一粒と引き

替えに、歌を一回歌うという取り決めを交わすのだが――。映画は、堅く閉ざされた

ファウスタの心が、かすかに熱をおびていくさまを寡黙に、しかし鮮やかに描き出し

ていく。



4月2日(土)よりユーロスペース、
4月23日(土)より川崎市アートセンターほか全国順次公開

『悲しみのミルク』公式HP

http://www.kanashimino-milk.jp/