2011年4月13日水曜日

波路はるかに~伊高先生の船上レポート(20)

 「PBオセアニック号は4月11日、ボルネオ島北側のマレーシア・サバ州都コタ・キナバル(KK)に寄港した。シンガポールから南シナ海を北東に五十数時間航行して、朝方に到着した。戦時中、日本軍が拠点を設け、連合軍と攻防戦を展開した地だ。同じ熱帯でも、赤道に近いシンガポールよりもKKの方が暑く、歩くだけで汗が流れる。

 この地域の深刻な問題は、森林の乱伐が進み、生態系が破壊され、生息する動植物、とりわけオランウータンの個体数が急速に減りつつあることだ。先日インドのコーチンで、マレーシアから輸入された丸太が港の一角に山積みされているのを見て、背筋が寒くなる思いをしたが、この丸太の大方の出所がボルネオ島なのだ。

 オランウータンを絶滅の危機から救おうと幾つかの取り組みが進められている。その一つが、「ボルネオ保全トラスト・ジャパン(BCTジャパン)」という組織だ。その理事である坂東元・旭山動物園長が船上講師としてシンガポールからオセアニック号に乗り、同組織の取り組みについて講演した。そのこともあって、動物園に行った。「野生を失わせてはいけない」という理由で、人間に慣れたオランウータンが1匹だけ展示され、芸を演じていた。船客たちはオランウータンを救うため、「緑の回廊」を築く同組織の運動にカンパし、かなりの浄財が集まった。

 KKの街は発展している。イスラム教国であることと関係すると思うのだが、いくら探しても酒類の販売店が見つからなかった。酒場やレストランで飲む酒はあっても、船に持ち帰る酒は買うことが出来なかった。特定の販売店に行かなければ手に入らないのかもしれない。
船は日没直前にKK港を出航し、南シナ海を再び北東に進路をとり、最終寄港地マニラに向かい始めた。かつて海賊が出没した海域であるため、夜間航行中は窓のカーテンを閉めるのが義務づけられ、デッキでの散歩も規制される。

2011年4月11日
船上にて 伊高浩昭