2008年11月21日金曜日

カルロス・フエンテス80歳の祭典


Carlos Fuentes
写真出典:http://www.carlosfuentes.com.mx/main.html


寄稿: 伊高浩昭(ジャーナリスト)

 メキシコの作家カルロス・フエンテスは2008年11月11日、満80歳になった。これを記念して17日から12月3日まで同国教育省の肝煎りで記念行事が催されている。興味深いので、現地からの情報を基に以下をまとめた。

 初日17日にはメキシコ市内のチャプルテペク城で昼食会があり、ガブリエル・ガルシアマルケス(コロンビア・ノーベル文学賞)、ナディーン・ゴーディマー(南ア・ノーベル文学賞)、フアン・ゴイティソロ(スペイン)、トマスエロイ・マルティネス(亜国)、ネリダ・ピニョーン(伯国)、セルヒオ・ラミーレス(ニカラグア)、アンヘレス・マステレタ(メキシコ)、ルイスラファエル・サンチェス(プエルト・リコ)ら作家たちが出席した。またフェリーペ・カルデロン大統領、リカルド・ラゴス前チリ大統領、フェリーペ・ゴンサレス元スペイン首相ら政治家も席を並べた。文学という普遍性、国際性、メヒカニダー(メキシコ性)、政治性を示す顔ぶれだ。

 フエンテスは1928年にパナマ市で生まれたが、当時、外交官の父親が在パナマ大使館に勤務していたからだ。その後、幼年期から少年期にかけ父親の転勤先のキト、モンテビデオ、リオデジャネイロ、ワシントン、サンティアゴデチレ、ブエノスアイレスなどに住むことになる。母語であるスペイン語を忘れないためメキシコ市で大学予科に入り、49年メキシコ国立自治大学(UNAM)の法学部に進学するが、中退して英国に移る。このような経歴から、西英両語を操る作家になる。

 私が初めてフエンテスに会ったのは、封建的なメキシコ体制の変革を求めた学生運動が頂点に達した1968年のこと。ある夜、邸宅に学生運動の指導部と私たちジャーナリストを招いて、一時帰国していた駐インド大使オクタビオ・パス(作家・詩人、後のノーベル文学賞、故人)とともに、運動の在り方や戦略・戦術を縦横に語り合ったのだ。

 この学生運動は、メキシコ五輪大会開会直前の同年10月2日の「トラテロルコ虐殺事件」で終わることになる。フエンテスはその年5月の「パリ5月革命」を現地で体験し、ソ連軍が8月、チェコスロヴァキアの民主化運動を粉砕するためプラハに侵攻すると、パリ在住のフリオ・コルタサル(亜国人作家、故人)とともにプラハに行き、現地の状況を把握した。そして、母校UNAMの後輩たちが主人公だったメキシコの学生運動に関与した。これらの体験を『68年の出来事――パリ・プラハ・メヒコ』にまとめ、2005年に出版した。40年近く経ってから刊行したのは、「若者らが古い教育と政治に〈もう結構だ〉と叫び、ユートピアを行動で表現しようとした」と自身が捉え共感した出来事を反芻し、文章を脳裏で推敲してからだろう。この作家にとって重要なアンガージュマン(状況参加)を通じて描いた政治紀行である。

 フエンテスに会った前年(1967年)に私はメキシコ市を拠点にジャーナリズムの活動を始めたのだが、当時、話題になっていたフエンテスの作品は『最も透明なる地域』(58年)だった。社会問題を取り上げて、政治性の強い作品だ。しかし「物語のコラージュ」と評されるように、相互に関係のないように思われる出来事が煩雑な切り絵のように並べられていて、極めて難解だ。私は1冊入手して読みはじめたが、途中で投げ出したまま今日に至っている。以来、「フエンテスの小説は読みにくく面白くない」という印象が私に根づいてしまった。『グリンゴ・ビエホ』(85年)のような読みやすいものがあるにしてもだ。フエンテスはチャプルテペク城での昼食会の翌日、UNAM文化センターで「物語る芸術とは」と題して開かれた作家討論会で、「あれは私が28歳のときの作品だ。ああ、真実はどこにあるのだ!」と、『最も透明なる地域』を嘆いてみせた。

 この討論会は、ガルシアマルケスが司会した。ゴイティソロは、「フエンテスは広がりと野心においてバルザックと比較することができる。フエンテスはガルシアマルケスら〈ラ米ブーム〉の作家たちとともに、スペイン語文学に現代性をもたらした」と称讃した。だが肝心のガルシアマルケスはなぜか、フエンテスの作品や作風について一言も口にしなかった。フエンテスは「彼とは40年以上にわたる同志だ。小説を書き、文学を信じ、言及されていない広大な密林に言葉の形を与えるために闘ってきた」と述べたのだが、ガルシアマルケスは微笑を返しただけだった。

 私は、ガルシアマルケスには1970年代初めにメキシコ市でインタビューしてから何度か会ってきたが、強烈な皮肉屋という印象が強い。彼がフエンテスについて討論会で無言を通したのは、同時代を共有してきた同志であるにせよ、作品・作風はあまり支持できないというような気持を抱いているからではないかと思う。コロンビアの報道界で調査報道の先駆けとしてならしたガルシアマルケスは、物語作家としての才能があふれ、作品はどれも読みやすく面白い。この点でフエンテスとは大違いなのだ。だが、本心が何か、本人にしかわからない。二人は討論会の壇上で、笑顔で抱き合った。

 フエンテスは、1990年に暗殺されたコロンビアのゲリラ「4月19日運動(M19)」の指導者カルロス・ピサーロを主人公とする小説を書き終えつつあることを明かした。メキシコは90年代初めごろから、コロンビア産のコカインの米国への密輸基地になっており、コカイン絡みの巨額の資金がメキシコ社会に出回っている。このため、メキシコの〈コロンビア化〉という言い方がはやっている。そんな背景もあって、ピサーロを題材に取り上げたようだ。これも老年期にある作家なりのアンガージュマンなのだろう。