2008年12月25日木曜日

チェ・ゲバラ試写会


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1月9日(金)17日(土)、ギャガコミュニケーションのご協力をいただき、チェ・ゲバラ2部作の映画試写会を行います。本日は一足先に試写会に行ってきました。

映画とかストーリーよりも、チェ、その人に触れる時間の流れに身を置くような感じを受けました。チェたちは、シエラマエストラ山中にいるのだけれど、私は見えない人間になってそこに一緒にいるような、そんなひとときを過ごしました。

ギャガコミュニケーションズは、「チェゲバラを知らない若者たちに見てほしい」との願いを込めて、この試写会を提供してくれました。キューバ革命やチェ・ゲバラを知らない世代は、先入観なしに彼の人となりに触れてどう思うのでしょうか?

2008年12月24日水曜日

¡Feliz Navidad y Feliz Año Nuevo!


クリスマスおめでとうこざいます。

立教大学キャンパスも冬休みを迎え、移動掲示板も撤去されて、静謐なクリスマスの日を迎えました。

キリストの誕生を指折り数えて待ちわびる待降節を経て、この日の夕方、降誕節に入ります。日没以降が新しい暦の始まりなのです。

ラテンアメリカに住んでいらした方は、この時期にキリスト教の教会に足を運ばれた方も多いのではありませんか? そんなときにひときわ目を引いたのは、いわゆるNacimiento もしくは Belenと呼ばれる、キリスト降誕の場面を再現した人形と馬小屋の飾りだったかもしれません。待降節に飾るアドベントキャンドルが毎週その本数を増やしていくように、待降節の間は、降誕の場面にキリストは存在しません。今宵、初めて幼子キリストの像が、小さなまぐさ桶のベッドに出現するのです。

どうぞ皆様も心温かな時を過ごせますように!

2008年12月6日土曜日

公開シンポジウム「過去との対話」


ポスターのダウンロードはこちら



ラテンアメリカ研究所が主催する講演会の中でも、とりわけ多くの人が参加するのが古代文明に関する講演会です。外部の講演会ですが、特に古代文明ファンにお知らせいたします。


公開シンポジウム「古代アンデス文明―過去との対話―」
■日 時: 2008年12月13日(土)14:00~16:30(13:00開場)
■会 場: 読売ホール(東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館7階)
■定 員: 1000名(先着順)
■入場料: 無料
■主 催:国立民族学博物館、埼玉大学、読売新聞社、アンデス考古学調査50周年記念事業実行委員会
■協 力:在日ペルー大使館、日本ペルー協会、古代アメリカ学会、アンデス文明研究会、天野博物館友の会

趣旨
1958年、東京大学によって始められたアンデスの考古学調査は、2008年に50年を迎えた。これまで1960年代に実施されたペルー北部山地のコトシュ遺跡を皮切りに、ワカロマ(1979~1989)、クントゥル・ワシ(1988~2006)といった大規模な祭祀センターを長期間にわたって調査し、アンデス文明の母体が形成された形成期(前2500~紀元前後)の社会発展を追究してきた。現在は、集大成ともいえる理論構築段階に入っており、祭祀センターの建築や増・改築活動こそが、社会変化を生み出す要因とする仮説も提示している。今回は、一線で活躍する国内外の研究者を招聘し、互いの解釈モデルをもとに、形成期社会の解明を目指すワークショップを開催する。ここでの議論は、日本人の研究の国際的位置づけを可能にすると同時に、形成期のみならず、広く古代文明形成に関わる理論構築につながることが期待される。さらに、これまでの日本人による調査の歩みを振り返り、成熟・発展を遂げた現在の研究状況や調査対象社会への成果還元のありかたを問う公開シンポジウムを併せて実施することで、一般社会への研究成果の還元を試みる予定である。

プログラム
一般公開シンポジウム「古代アンデス文明―過去との対話―」
13:00-     開 場
14:00-15:20 第1部 アンデスを掘る
進行役:井口欣也(埼玉大学准教授)
「アンデス調査50年」(大貫良夫 東京大学名誉教授)
「クントゥル・ワシでの発見」(加藤泰建 埼玉大学副学長)
「神殿からのメッセージ -パコパンパ遺跡の発掘-」(関 雄二 国立民族学博物館教授)
15:20-15:35 休 憩
15:35-16:30 第2部 座談「文明との対話」
司   会:加藤泰建
パネリスト:大貫良夫、関 雄二、青柳正規(独立行政法人国立美術館理事長、国立西洋美術館館長)楠田枝里子(司会者・エッセイスト)

2008年12月4日木曜日

師走


師走に入りました。

今年のラテンアメリカ研究所は国際会議を目指してずっと走り続けてきて、ふと立ち止まるともう12月。月曜日には点灯式が行われました。寒さに震えるオフィスで夜遅くまで働いて、それでもなんとか9時に正門が閉まる前に中庭に辿り着くと、大きなヒマラヤ杉が昔ながらの暖かな光を灯して迎えてくれます。

もう12月。ラテンアメリカ講座もカウントダウンが始まっているはずなのに、実は学期末もまた大きなイベントがありそうです。

まだ内緒なのだけれど、とても素敵なプレゼント。そして、今またプレゼントの準備に追われているのです。

2008年11月29日土曜日

立教のツリーの準備(点灯式の前に)


先週緑の銀杏をご紹介したのですが、あっという間に色が変わってゆきます。
今週の風景は正門側の銀杏の木と点灯式直前のクリスマスツリーの風景です。
銀杏はまさに散らんとする風情でありながら、その美しさをまだ保っています。
蔦の色の移ろいと黄金色の大木、そして、点灯を待っている電球たち・・・
これが立教キャンパスの晩秋なのでしょう。

今日はいつも教室に到着するのが早い講師も、キャンパスで紅葉を愛でていたようです。
同じく秋を楽しむ受講生とともに、しばし正門前で木々の輝きを楽しんでいました。

2008年11月22日土曜日

立教の銀杏(イチョウ)


東京の銀杏並木といえば神宮外苑だけれど立教大学の銀杏も美しい。立教で一番立派な銀杏はなんといってもモリス館近くの4本の大木だろう。

この木々も陽の当たり具合が違うらしく、色づきが異なっている。今朝見たところ、この写真(正門側でなく中庭側)の銀杏はまだ緑だった。もうひとつの銀杏は中はかなり黄色く、外側の緑を通して、黄色が透けて見えるほどであった。クリスマスツリーに隣接した正門側の銀杏はすでに黄色く色づいている。
この黄色が一番美しい時期を迎えると、立教大学のクリスマスツリーが点灯する。

実はクリスマスツリーにはすでに色とりどりの電球が飾られているのである。
点灯されないのは、キリスト教のカレンダーで待降節が始まるのを待っているからなのだ。
キリスト教会の暦ではキリストの誕生を待つ、この待降節が1年の始まりである。

ちまたにはどこもクリスマスツリーが見られるが、キリスト教の大学である立教では待降節を待ってツリーを飾る。ちょうど銀杏が見ごろの時期に、ツリーも点灯する。

2008年11月21日金曜日

カルロス・フエンテス80歳の祭典


Carlos Fuentes
写真出典:http://www.carlosfuentes.com.mx/main.html


寄稿: 伊高浩昭(ジャーナリスト)

 メキシコの作家カルロス・フエンテスは2008年11月11日、満80歳になった。これを記念して17日から12月3日まで同国教育省の肝煎りで記念行事が催されている。興味深いので、現地からの情報を基に以下をまとめた。

 初日17日にはメキシコ市内のチャプルテペク城で昼食会があり、ガブリエル・ガルシアマルケス(コロンビア・ノーベル文学賞)、ナディーン・ゴーディマー(南ア・ノーベル文学賞)、フアン・ゴイティソロ(スペイン)、トマスエロイ・マルティネス(亜国)、ネリダ・ピニョーン(伯国)、セルヒオ・ラミーレス(ニカラグア)、アンヘレス・マステレタ(メキシコ)、ルイスラファエル・サンチェス(プエルト・リコ)ら作家たちが出席した。またフェリーペ・カルデロン大統領、リカルド・ラゴス前チリ大統領、フェリーペ・ゴンサレス元スペイン首相ら政治家も席を並べた。文学という普遍性、国際性、メヒカニダー(メキシコ性)、政治性を示す顔ぶれだ。

 フエンテスは1928年にパナマ市で生まれたが、当時、外交官の父親が在パナマ大使館に勤務していたからだ。その後、幼年期から少年期にかけ父親の転勤先のキト、モンテビデオ、リオデジャネイロ、ワシントン、サンティアゴデチレ、ブエノスアイレスなどに住むことになる。母語であるスペイン語を忘れないためメキシコ市で大学予科に入り、49年メキシコ国立自治大学(UNAM)の法学部に進学するが、中退して英国に移る。このような経歴から、西英両語を操る作家になる。

 私が初めてフエンテスに会ったのは、封建的なメキシコ体制の変革を求めた学生運動が頂点に達した1968年のこと。ある夜、邸宅に学生運動の指導部と私たちジャーナリストを招いて、一時帰国していた駐インド大使オクタビオ・パス(作家・詩人、後のノーベル文学賞、故人)とともに、運動の在り方や戦略・戦術を縦横に語り合ったのだ。

 この学生運動は、メキシコ五輪大会開会直前の同年10月2日の「トラテロルコ虐殺事件」で終わることになる。フエンテスはその年5月の「パリ5月革命」を現地で体験し、ソ連軍が8月、チェコスロヴァキアの民主化運動を粉砕するためプラハに侵攻すると、パリ在住のフリオ・コルタサル(亜国人作家、故人)とともにプラハに行き、現地の状況を把握した。そして、母校UNAMの後輩たちが主人公だったメキシコの学生運動に関与した。これらの体験を『68年の出来事――パリ・プラハ・メヒコ』にまとめ、2005年に出版した。40年近く経ってから刊行したのは、「若者らが古い教育と政治に〈もう結構だ〉と叫び、ユートピアを行動で表現しようとした」と自身が捉え共感した出来事を反芻し、文章を脳裏で推敲してからだろう。この作家にとって重要なアンガージュマン(状況参加)を通じて描いた政治紀行である。

 フエンテスに会った前年(1967年)に私はメキシコ市を拠点にジャーナリズムの活動を始めたのだが、当時、話題になっていたフエンテスの作品は『最も透明なる地域』(58年)だった。社会問題を取り上げて、政治性の強い作品だ。しかし「物語のコラージュ」と評されるように、相互に関係のないように思われる出来事が煩雑な切り絵のように並べられていて、極めて難解だ。私は1冊入手して読みはじめたが、途中で投げ出したまま今日に至っている。以来、「フエンテスの小説は読みにくく面白くない」という印象が私に根づいてしまった。『グリンゴ・ビエホ』(85年)のような読みやすいものがあるにしてもだ。フエンテスはチャプルテペク城での昼食会の翌日、UNAM文化センターで「物語る芸術とは」と題して開かれた作家討論会で、「あれは私が28歳のときの作品だ。ああ、真実はどこにあるのだ!」と、『最も透明なる地域』を嘆いてみせた。

 この討論会は、ガルシアマルケスが司会した。ゴイティソロは、「フエンテスは広がりと野心においてバルザックと比較することができる。フエンテスはガルシアマルケスら〈ラ米ブーム〉の作家たちとともに、スペイン語文学に現代性をもたらした」と称讃した。だが肝心のガルシアマルケスはなぜか、フエンテスの作品や作風について一言も口にしなかった。フエンテスは「彼とは40年以上にわたる同志だ。小説を書き、文学を信じ、言及されていない広大な密林に言葉の形を与えるために闘ってきた」と述べたのだが、ガルシアマルケスは微笑を返しただけだった。

 私は、ガルシアマルケスには1970年代初めにメキシコ市でインタビューしてから何度か会ってきたが、強烈な皮肉屋という印象が強い。彼がフエンテスについて討論会で無言を通したのは、同時代を共有してきた同志であるにせよ、作品・作風はあまり支持できないというような気持を抱いているからではないかと思う。コロンビアの報道界で調査報道の先駆けとしてならしたガルシアマルケスは、物語作家としての才能があふれ、作品はどれも読みやすく面白い。この点でフエンテスとは大違いなのだ。だが、本心が何か、本人にしかわからない。二人は討論会の壇上で、笑顔で抱き合った。

 フエンテスは、1990年に暗殺されたコロンビアのゲリラ「4月19日運動(M19)」の指導者カルロス・ピサーロを主人公とする小説を書き終えつつあることを明かした。メキシコは90年代初めごろから、コロンビア産のコカインの米国への密輸基地になっており、コカイン絡みの巨額の資金がメキシコ社会に出回っている。このため、メキシコの〈コロンビア化〉という言い方がはやっている。そんな背景もあって、ピサーロを題材に取り上げたようだ。これも老年期にある作家なりのアンガージュマンなのだろう。