2008年11月29日土曜日

立教のツリーの準備(点灯式の前に)


先週緑の銀杏をご紹介したのですが、あっという間に色が変わってゆきます。
今週の風景は正門側の銀杏の木と点灯式直前のクリスマスツリーの風景です。
銀杏はまさに散らんとする風情でありながら、その美しさをまだ保っています。
蔦の色の移ろいと黄金色の大木、そして、点灯を待っている電球たち・・・
これが立教キャンパスの晩秋なのでしょう。

今日はいつも教室に到着するのが早い講師も、キャンパスで紅葉を愛でていたようです。
同じく秋を楽しむ受講生とともに、しばし正門前で木々の輝きを楽しんでいました。

2008年11月22日土曜日

立教の銀杏(イチョウ)


東京の銀杏並木といえば神宮外苑だけれど立教大学の銀杏も美しい。立教で一番立派な銀杏はなんといってもモリス館近くの4本の大木だろう。

この木々も陽の当たり具合が違うらしく、色づきが異なっている。今朝見たところ、この写真(正門側でなく中庭側)の銀杏はまだ緑だった。もうひとつの銀杏は中はかなり黄色く、外側の緑を通して、黄色が透けて見えるほどであった。クリスマスツリーに隣接した正門側の銀杏はすでに黄色く色づいている。
この黄色が一番美しい時期を迎えると、立教大学のクリスマスツリーが点灯する。

実はクリスマスツリーにはすでに色とりどりの電球が飾られているのである。
点灯されないのは、キリスト教のカレンダーで待降節が始まるのを待っているからなのだ。
キリスト教会の暦ではキリストの誕生を待つ、この待降節が1年の始まりである。

ちまたにはどこもクリスマスツリーが見られるが、キリスト教の大学である立教では待降節を待ってツリーを飾る。ちょうど銀杏が見ごろの時期に、ツリーも点灯する。

2008年11月21日金曜日

カルロス・フエンテス80歳の祭典


Carlos Fuentes
写真出典:http://www.carlosfuentes.com.mx/main.html


寄稿: 伊高浩昭(ジャーナリスト)

 メキシコの作家カルロス・フエンテスは2008年11月11日、満80歳になった。これを記念して17日から12月3日まで同国教育省の肝煎りで記念行事が催されている。興味深いので、現地からの情報を基に以下をまとめた。

 初日17日にはメキシコ市内のチャプルテペク城で昼食会があり、ガブリエル・ガルシアマルケス(コロンビア・ノーベル文学賞)、ナディーン・ゴーディマー(南ア・ノーベル文学賞)、フアン・ゴイティソロ(スペイン)、トマスエロイ・マルティネス(亜国)、ネリダ・ピニョーン(伯国)、セルヒオ・ラミーレス(ニカラグア)、アンヘレス・マステレタ(メキシコ)、ルイスラファエル・サンチェス(プエルト・リコ)ら作家たちが出席した。またフェリーペ・カルデロン大統領、リカルド・ラゴス前チリ大統領、フェリーペ・ゴンサレス元スペイン首相ら政治家も席を並べた。文学という普遍性、国際性、メヒカニダー(メキシコ性)、政治性を示す顔ぶれだ。

 フエンテスは1928年にパナマ市で生まれたが、当時、外交官の父親が在パナマ大使館に勤務していたからだ。その後、幼年期から少年期にかけ父親の転勤先のキト、モンテビデオ、リオデジャネイロ、ワシントン、サンティアゴデチレ、ブエノスアイレスなどに住むことになる。母語であるスペイン語を忘れないためメキシコ市で大学予科に入り、49年メキシコ国立自治大学(UNAM)の法学部に進学するが、中退して英国に移る。このような経歴から、西英両語を操る作家になる。

 私が初めてフエンテスに会ったのは、封建的なメキシコ体制の変革を求めた学生運動が頂点に達した1968年のこと。ある夜、邸宅に学生運動の指導部と私たちジャーナリストを招いて、一時帰国していた駐インド大使オクタビオ・パス(作家・詩人、後のノーベル文学賞、故人)とともに、運動の在り方や戦略・戦術を縦横に語り合ったのだ。

 この学生運動は、メキシコ五輪大会開会直前の同年10月2日の「トラテロルコ虐殺事件」で終わることになる。フエンテスはその年5月の「パリ5月革命」を現地で体験し、ソ連軍が8月、チェコスロヴァキアの民主化運動を粉砕するためプラハに侵攻すると、パリ在住のフリオ・コルタサル(亜国人作家、故人)とともにプラハに行き、現地の状況を把握した。そして、母校UNAMの後輩たちが主人公だったメキシコの学生運動に関与した。これらの体験を『68年の出来事――パリ・プラハ・メヒコ』にまとめ、2005年に出版した。40年近く経ってから刊行したのは、「若者らが古い教育と政治に〈もう結構だ〉と叫び、ユートピアを行動で表現しようとした」と自身が捉え共感した出来事を反芻し、文章を脳裏で推敲してからだろう。この作家にとって重要なアンガージュマン(状況参加)を通じて描いた政治紀行である。

 フエンテスに会った前年(1967年)に私はメキシコ市を拠点にジャーナリズムの活動を始めたのだが、当時、話題になっていたフエンテスの作品は『最も透明なる地域』(58年)だった。社会問題を取り上げて、政治性の強い作品だ。しかし「物語のコラージュ」と評されるように、相互に関係のないように思われる出来事が煩雑な切り絵のように並べられていて、極めて難解だ。私は1冊入手して読みはじめたが、途中で投げ出したまま今日に至っている。以来、「フエンテスの小説は読みにくく面白くない」という印象が私に根づいてしまった。『グリンゴ・ビエホ』(85年)のような読みやすいものがあるにしてもだ。フエンテスはチャプルテペク城での昼食会の翌日、UNAM文化センターで「物語る芸術とは」と題して開かれた作家討論会で、「あれは私が28歳のときの作品だ。ああ、真実はどこにあるのだ!」と、『最も透明なる地域』を嘆いてみせた。

 この討論会は、ガルシアマルケスが司会した。ゴイティソロは、「フエンテスは広がりと野心においてバルザックと比較することができる。フエンテスはガルシアマルケスら〈ラ米ブーム〉の作家たちとともに、スペイン語文学に現代性をもたらした」と称讃した。だが肝心のガルシアマルケスはなぜか、フエンテスの作品や作風について一言も口にしなかった。フエンテスは「彼とは40年以上にわたる同志だ。小説を書き、文学を信じ、言及されていない広大な密林に言葉の形を与えるために闘ってきた」と述べたのだが、ガルシアマルケスは微笑を返しただけだった。

 私は、ガルシアマルケスには1970年代初めにメキシコ市でインタビューしてから何度か会ってきたが、強烈な皮肉屋という印象が強い。彼がフエンテスについて討論会で無言を通したのは、同時代を共有してきた同志であるにせよ、作品・作風はあまり支持できないというような気持を抱いているからではないかと思う。コロンビアの報道界で調査報道の先駆けとしてならしたガルシアマルケスは、物語作家としての才能があふれ、作品はどれも読みやすく面白い。この点でフエンテスとは大違いなのだ。だが、本心が何か、本人にしかわからない。二人は討論会の壇上で、笑顔で抱き合った。

 フエンテスは、1990年に暗殺されたコロンビアのゲリラ「4月19日運動(M19)」の指導者カルロス・ピサーロを主人公とする小説を書き終えつつあることを明かした。メキシコは90年代初めごろから、コロンビア産のコカインの米国への密輸基地になっており、コカイン絡みの巨額の資金がメキシコ社会に出回っている。このため、メキシコの〈コロンビア化〉という言い方がはやっている。そんな背景もあって、ピサーロを題材に取り上げたようだ。これも老年期にある作家なりのアンガージュマンなのだろう。

2008年11月20日木曜日

ブログ開始から1周年


記録をたどっていただければわかるのですが、実はこのブログは昨年の11月に開始しました。最初に書き始めたときは誰にも知らせませんでした。

当時はラテンアメリカ研究所のHPのリニューアルに向けて日々作業をしており、どうせHPのリニューアルをするなら素敵なデザインにするだけではなく内容も充実し、あまり知られていないラテンアメリカ講座の楽しさも伝わるようなものにしたいと思っていました。

最初は「ブログ~~??」という反応もあり、実際にどのようなものを作ろうとしているのかみてもらう必要もあって、これをHPにリンクさせるかどうかも決めないまま、ブログを書き始めたのです。

またブログがあっても記事がないのではクリックする気力も失せますよね。そうして経緯があって、誰にも内緒で2か月くらい書いていました。

その後、所長の温かい励ましもあって、新しいHPに新しい試みを追加することができるようになったわけです。

ラテンアメリカ講座やキャンパス情報だけで楽しんでもらえるのかな~と思いつつ、以後、思いもかけず、文筆家の伊高先生にもご支援いただき、素敵な記事を掲載することもできるようになりました。
ときどき「ここに掲載してしまってはもったいなくありませんか?」と言わなければならないほどです。

こうして1年間続けることができたのも、皆様の温かいご支援のおかげです。
実は10月に行われた国際会議のために、今年は講座のケアがおろそかになりがちだったのですが、時折、びっくりするほど親しみをこめて話しかけてくださる受講生がいるのもブログ効果なのかもしれません。

どうぞこれからもご支援のほどをよろしくお願いいたします。

2008年11月19日水曜日

立教の秋深まる


最近の立教に来る楽しみは紅葉の彩りの変化です。

あと数日でその頂点を迎えるような樹もあれば、茶色く乾いた枯葉色が縁取る葉をつけている木々もある。 こうした赤、黄、緑、茶、の絵具の調合を少しずつ変えて塗り替えていくような木々の装いを見ることができるのは心が癒されるようです。

おそらく講座の受講生も毎週来るたびに色合いを変えていくキャンパスに季節を感じているのではないでしょうか。

2008年11月15日土曜日

鈴懸の径(すずかけのみち)


立教大学といえば蔦の絡まるレンガの建物を思い出す人が多いと思いますが、某講師に、「立教大学といえば鈴懸の径でしょう。」と言われました。

毎日出勤するたびに「鈴懸の径」の碑の前を通ります。特に秋になるとたくさんの落ち葉に季節の移り変わりを感じるのだけれど、皆さんはこの「鈴懸の径」をご存じでしょうか。

モリス館(時計台のある建物)をくぐって、メインストリートの8号館を通過したあたりにこの石碑がたっています。刻まれているのは灰田勝彦が歌った鈴懸の径の歌詞です。この歌は立教大学のことを歌ったものなのです。下記のYouTubeから歌を聴くことができます。

http://jp.youtube.com/watch?v=D6wZN915GvU&feature=related

2008年11月14日金曜日

ボリビアでのアマゾン古代文明発掘


写真出典:Japan Timesの記事より引用
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20081111f3.html

実松先生が行っている古代アマゾン文明の発掘に関する記事がJapan Timesに掲載されました。
昨年の古代アマゾン文明の講演会以降についての様子がわかります。

実松先生よりのお知らせです。
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今年のボリビアでの発掘についての記事がThe Japan Timesに載りました。サイトをクリックしてください。身長70cmの小人の写真もあります。

2008年11月12日水曜日

ブラジル映画特集

東京Filmexにて~ブラジル映画の奇跡~ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ監督特集が行われます。

プログラムとしては、3プログラム(5作品上映)
●『マクナイーマ』 
●『夫婦間戦争』(※併映『キャットスキン』) 
●『ガリンシャ』(※併映『シネマ・ノーヴォ』) となります

詳細は下記にてご確認ください。

http://www.filmex.net/2008/special_pa.htm

2008年11月11日火曜日

変わる南米

TVの番組情報をお伝えします。
NHK BS1で放送される世界のドキュメンタリーの中から、シリーズ「変わる南米」のお知らせです。
この番組は世界のさまざまな放送局が制作したドキュメンタリー番組を放映しています。

下記はすべてNHK 世界のドキュメンタリーのページより<変わる南米>の部分のみを抜粋しました。

<シリーズ 変わる南米>
チャベス政権 光と影 ~21世紀社会主義の行方~
11月11日 (火) 午後9:10~10:00
世界有数の埋蔵量を誇るベネズエラの石油の国有化を打ち出したチャベス大統領。3選を果たした直後の2007年の1年間、社会主義路線を強めていくベネズエラの姿をロードムービー風に取材し、各地の人びとの暮らしの現実をとらえた。
チャベス自身へのインタビューを交え、石油を国有化しても改善されない貧困の実態や、社会主義路線への危機感を強める人びとの声を伝える。

<シリーズ 変わる南米>
<世界33ヵ国 共同制作 民主主義>南米ボリビア “先住民たちの革命” (再)
11月12日 (水) 午後9:10~10:00
南米初の先住民の大統領、ボリビアのモラレス大統領に密着し、欧米流の政策に異論を唱え、理想を掲げて登場した政治家たちがぶつかる壁を描く。
天然ガスの国有化や貧困層への海外援助金支出が、上院の反対で実現せず、支援した民衆に苛立ちがつのる。大統領と共に下院議員に当選した貧困層対策に力を注ぐ女性議員の姿を交え、大統領と改革派議員たちのジレンマを追う。
※‘07年に放送された「NHK33ヵ国共同制作 民主主義」シリーズ、10本のうちの1本を再放送します。

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 前編
11月13日 (木) 午後9:10~9:54
1973年、チリ。ピノチェト将軍は、民主的に成立した社会主義のアジェンデ政権をクーデターで倒し、大統領の座についた。以後、15年に及ぶ独裁の中で、数千人が拘束され殺された。1998年、犠牲者の家族の告訴により、初めてチリの司法の下で控訴院が調査を行うことになった。
この番組は、ピノチェト元大統領を裁くという重要な裁判を任されたホアン・グスマン判事がピノチェト元大統領を起訴するまでのプロセスを数年間にわたり追い、ピノチェト政権下で何が起きていたか、その全貌に初めて迫った。

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 後編
11月14日 (金) 午後9:10~9:52
後編では、グスマン判事がピノチェト元大統領を起訴するまでのプロセスを描く。

<シリーズ 変わる南米>
ブラジルが世界を変える ~ルーラ大統領の挑戦~ (再)
11月17日 (月) 午前10:10~11:00
このドキュメンタリーでは、ルーラ大統領本人そしてその独自外交の担い手であるセルソ・アモリン外務大臣の証言を軸に、今後の南米のカギを握るベネズエラのチャベス大統領やボリビアのモラレス大統領らと、どのような南米の姿を築こうとしているかが語られる。

<シリーズ 変わる南米>
チャベス政権 光と影 ~21世紀社会主義の行方~ (再)
11月18日 (火) 午前10:10~11:00

<シリーズ 変わる南米>
<世界33ヵ国 共同制作 民主主義>南米ボリビア “先住民たちの革命” (再)
11月19日 (水) 午前10:10~11:00

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 前編 (再)
11月20日 (木) 午前10:10~11:00 

<シリーズ 変わる南米>
将軍を追いつめた判事 ~チリ軍事政権の闇~ 後編 (再)
11月21日 (金) 午前10:10~11:00

2008年11月8日土曜日

立教大学の秋(Otoño en Rikkyo)


今日は雨模様で、紅葉の輝きは今ひとつですが、グラデーションの美しさも見てくださいね。
Espero que aprecien las hojas brillantes en colores muy variadas.

2008年11月7日金曜日

Federico García Lorca: Poeta en Tokio


セルバンテス文化センターより下記のお知らせが届きました。

セルバンテス文化センターの公式オープンを記念し、 11月10日から15日までのスペイン文化週間に行われる数々の 文化プログラムのうち、 http://tokio.cervantes.es/jp/microsite/informaciones/eventos_culturales.htm
ガルシア・ロルカ/ポエタ・エン・トウキョウ」に教育機関の先生、 職員、生徒の皆様をご招待するそうです。 なお、当日17:00よりスペインクラシック音楽コンサート「クアルテート・サラバスティ」にもご参加いただけます ・・・ とのことです。ラテンアメリカ研究所よりまとめて予約をお願いしますので、ご興味のある方は、必ず8日(土)17時までにラテンアメリカ研究所までお申し込みください。

11月11日(火)

15:00 オープニングアクト
15:30  シンポジウム「フェデリコ・ガルシア・ロルカ:ポエタ・エン・トウキョウ」
ラウンドテーブル
ロルカ財団会長、姪孫であるラウラ・ガルシア・ロルカ、ロルカ研究の第一人者アンドレス・ソリア・オルメド氏、スペイン王立アカデミー会員清水憲男教授を迎え講演会を開催いたします。
会場 セルバンテス文化センター東京オーディトリアム
出演 ラウラ・ガルシア・ロルカ、アンドレス・ソリア・オルメド
協力 フェデリコ・ガルシーア・ロルカ財団
言語 スペイン語、日本語同時通訳あり 無料

立教大学の秋(Otoño en Rikkyo)


蔦のからまるチャペル(11月7日現在)

立教大学といって思い出すのは、時計台のある本館(モリス館)でしょうか、それともチャペルでしょうか。どちらも蔦のからまる歴史的建造物ですが。

このうち蔦の紅葉が見事なのがなんといってもチャペルです。桜の花も日当たりによって開花時期が異なるように、立教で一番早く蔦が色ずくのがチャペル。そして、今がチャペルの蔦の見ごろです。明日の登校の際にはぜひこのチャペルの赤をご覧になってください。
La Capilla cubierta de yedra (el día 7 de noviembre)
De cuál se recuerda Vd. al oir el nombre de Rikkyo, ¿el Edificio Morris (la torre con reloj)
o la Capilla? Ambos edificios son propiedades históricas de Tokio, cubiertos de yedra. Como las flores de cerezo florecen de distinta manera con o sin sol, las yedras también se enrojecen diversamente. Las hojas de la capilla se colorean por primero. Ahora están en su plenitud. Que no pierdan esta belleza.

2008年11月6日木曜日

在日ブラジル人これからの100年


おもしろそうな講演会のお知らせです。
出かけなくとも、インターネットで中継されるようです。

日時:2008年11月9日(日)
在日ブラジル人これからの100年
会場:女性と仕事の未来館

「インカの歌姫」イマ・スマックが死去


写真出典:
http://www.elpais.com/articulo/Necrologicas/Yma/Sumac/prodigiosa/cantante/peruana/elpepinec/20081105elpepinec_2/Tes
伊高先生から下記の寄稿をいただきました。
歌声を聴きたい方は
オフィシャルHP  
http://www.yma-sumac.com/index.htm
またはYouTubeにYma Sumacと入れて検索してください。

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寄稿  伊高浩昭

 ペルー人ソプラノ歌手イマ・スマック(本名ソイラ・チャバリデカスティージョ)が11月1日、ロサンジェルスの病院で死去した。出自に謎が多いが、1922年9月10日カハマルカ州イチョカン生まれとされ、86歳での死とされる。結腸癌を患い、8カ月間入院していた。
 私(筆者)は1972年11月にリマ取材中、中心街の大統領政庁のすぐ近くにあった円形劇場で、帰国していた彼女の歌を聴いた。切符売り場に長い行列ができていたので興味を抱き、切符を買って入ったところ、幸運にも歌姫の公演に居合わせることができたのだった。彼女がちょうど50歳のころだ。
 私は舞台から遠い3階席の奥の席をあてがわれていたが、歌声を聴いて驚いた。初め、小鳥が劇場内を飛び回ってさえずっているような錯覚に見舞われた。実は、彼女が歌っていたのだ。近くにいた年配のペルー人と目が合うと、そのペルー人は「彼女の声域は4オクターブ以上なのだ」と誇らしげに教えてくれた。私は、彼女のカセットを幾つか買って資料とした。当時は、CDのない時代だった。
 その後リマに行く度に、あのときのようにイマ・スマックがひょっとして一時帰国し公演しているのではないかと劇場を当たったり、新聞の興行欄を調べたりした。だが、再び彼女の姿を見る機会はなかった。
 彼女は第2次大戦後、ニューヨークを拠点に「インカ・タキー」というトリオを組み、「インカ皇帝アタウアルパの末裔に当たる皇女」を名乗って歌った。天性の歌声と「アンデスの香りのする化粧をした美女」の風貌で1950年代に大ヒットする。夫モイセス・ビバンコは作曲家にして楽団指揮者だったが、彼が妻の歌う歌の編曲や舞台での演出で力を発揮した。60年代にはソ連(当時)で、ボリショイ管弦楽団と共演した。そのころ拠点はロサンジェルスに移していた。
 2006年には、故国ペルーの最高章「ペルー太陽章」を受賞した。「故郷を捨てた大スター」としてペルー人から「裏切り者」のレッテルを張られ、つらい思いをした時期もあったようだが、受賞によって心が癒されたに違いない。我が家のどこかにしまってあるはずの古いCDを見つけ出して、ピスコを飲みながら久々に彼女の歌を聴き、36年前の劇場の情景を懐かしみつつ追悼することとしよう。