立教大学ラテンアメリカ研究所事務局が講演会やラテンアメリカ講座に関する日々の様々な出来事とラテンアメリカ関連情報をお伝えします。La secretaría del Instituto informa las novedades sobre las conferencias y el curso del Instituto de estudios latinoamericanos de la Universidad Rikkyo.
2008年11月6日木曜日
「インカの歌姫」イマ・スマックが死去
写真出典:
http://www.elpais.com/articulo/Necrologicas/Yma/Sumac/prodigiosa/cantante/peruana/elpepinec/20081105elpepinec_2/Tes
伊高先生から下記の寄稿をいただきました。
歌声を聴きたい方は
オフィシャルHP
http://www.yma-sumac.com/index.htm
またはYouTubeにYma Sumacと入れて検索してください。
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寄稿 伊高浩昭
ペルー人ソプラノ歌手イマ・スマック(本名ソイラ・チャバリデカスティージョ)が11月1日、ロサンジェルスの病院で死去した。出自に謎が多いが、1922年9月10日カハマルカ州イチョカン生まれとされ、86歳での死とされる。結腸癌を患い、8カ月間入院していた。
私(筆者)は1972年11月にリマ取材中、中心街の大統領政庁のすぐ近くにあった円形劇場で、帰国していた彼女の歌を聴いた。切符売り場に長い行列ができていたので興味を抱き、切符を買って入ったところ、幸運にも歌姫の公演に居合わせることができたのだった。彼女がちょうど50歳のころだ。
私は舞台から遠い3階席の奥の席をあてがわれていたが、歌声を聴いて驚いた。初め、小鳥が劇場内を飛び回ってさえずっているような錯覚に見舞われた。実は、彼女が歌っていたのだ。近くにいた年配のペルー人と目が合うと、そのペルー人は「彼女の声域は4オクターブ以上なのだ」と誇らしげに教えてくれた。私は、彼女のカセットを幾つか買って資料とした。当時は、CDのない時代だった。
その後リマに行く度に、あのときのようにイマ・スマックがひょっとして一時帰国し公演しているのではないかと劇場を当たったり、新聞の興行欄を調べたりした。だが、再び彼女の姿を見る機会はなかった。
彼女は第2次大戦後、ニューヨークを拠点に「インカ・タキー」というトリオを組み、「インカ皇帝アタウアルパの末裔に当たる皇女」を名乗って歌った。天性の歌声と「アンデスの香りのする化粧をした美女」の風貌で1950年代に大ヒットする。夫モイセス・ビバンコは作曲家にして楽団指揮者だったが、彼が妻の歌う歌の編曲や舞台での演出で力を発揮した。60年代にはソ連(当時)で、ボリショイ管弦楽団と共演した。そのころ拠点はロサンジェルスに移していた。
2006年には、故国ペルーの最高章「ペルー太陽章」を受賞した。「故郷を捨てた大スター」としてペルー人から「裏切り者」のレッテルを張られ、つらい思いをした時期もあったようだが、受賞によって心が癒されたに違いない。我が家のどこかにしまってあるはずの古いCDを見つけ出して、ピスコを飲みながら久々に彼女の歌を聴き、36年前の劇場の情景を懐かしみつつ追悼することとしよう。