先ごろ岩波書店から『マゼラン最初の世界一周航海』(長南実訳)という文庫本が出て、一気に読んだ。私はことし1~4月、横浜を出航し東回りで横浜に帰航する86日間の世界一周航海を経験し、太平洋と大西洋でマゼランの航路を横切ったことや、かつてマゼラン海峡を2度航行したことから、この本の内容に強い関心があったのだ。
ポルトガル人フェルナン・デ・マガリャンイス(1480?~1521、英語名ファーディナンド・マジェラン=日本語でマゼラン)は5隻の船団を率いて1519年8月10日セビージャ港を出港し、翌年10月21日、南米南端地方で、とある波荒い入江に到達した。その奥の水路を用心深く進むと、11月28日太平洋に出た。マゼランは「パタゴニア海峡」と名付けたが、後に「マゼラン海峡」と命名された。
船団はフィリピンに行くが、マゼランは1521年4月26日、セブ島の東にあるマクタン島で先住民族の領主に戦いを挑み、戦死する。部下のセバスティアン・デルカノら18人がビクトリア号で1522年9月8日セビージャに帰還し、世界初の地球一周航海が3年で完成した。
この本は、その18人の一人でイタリア人のアントニオ・ピガフェッタの手記と、スペイン国王秘書マクシミリアーノ・トランシルヴァーノがデルカノら3人の乗組員から聞き書きした文章で構成されている。一行が出会った各地の先住民族の風俗やキリスト教への反応の描写が面白い。欧州で当時流行していた怪物伝説に悪乗りしてか、ピガフェッタが「ある木の落ち葉は生きていて、歩きだす」、「この島の住民の耳は体と同じ大きさで、片方の耳を寝床にし、もう片方の耳を体にかぶせる」などと書いているのには失笑を禁じえない。
スペイン・ポルトガル両王国の海洋権益をめぐる敵対関係や、それと関連して起きたポルトガル人マゼランに対するスペイン人乗組員らの反発と裏切りについての記述も興味深い。両王国はローマ法王の仲介で1494年、世界を二分するトルデシージャス条約を結び、東航(アフリカ周りアジア航路)がポルトガルの領分となったため、スペインは西航(南米周りアジア航路)に乗り出さねばならなかった。香料諸島と呼ばれたモルッカ諸島(現インドネシア領マルク諸島)にたどりつき、欧州で高価な丁子、肉桂、ニクズクなどの香辛料を本国に大量に運び込むのが最大の目的だった。
マゼランの狙いもそこにあり、香辛料を船に積んだらパタゴニア海峡経由で帰航してもよかったのだ。だが諸島に到達する前に命を落とし、部下たちがポルトガル艦隊に襲撃される危険を冒して喜望峰を回り、結果として世界一周航海を成し遂げたのだった。スペインは1492年にインディアス(新世界アメリカ)に到達していたが、当初は米大陸よりも香料諸島への関心の方が強かったという。
ラ米学徒には必読の本である。ぜひ読まれんことを。伊高浩昭(2011年5月27日)