2014年11月17日月曜日

公開シンポジウム「〈異他なる空間(ヘテロトピア)〉へ ─映像・景観・詩─」

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ラテンアメリカ研究所所員、林みどり先生からの、立教大学大学文学研究科 比較文明学専攻の主催による公開シンポジウム「〈異他なる空間(ヘテロトピア)〉へ ─映像・景観・詩─」のお知らせです。

【シンポジウムの趣旨】
林 みどり

 「ヘテロトピア」という言葉を空間spaceに関して最初に用いたのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーである。最初にこの言葉が用いられた『言葉と物』(1966年)では、もっぱら言語空間において生成する抽象的な空間を意味する概念だったが、翌年におこなわれた講演(「異他なる空間」"Des espaces autres")では、より具体的な空間と位置づけなおしている。「異他なる空間」では、ヘテロトピアは、歴史性をともなった具体的な空間(物質的な空間を含む)として定義し直されている。
 このように初発の段階から、ヘテロトピアは両義的で曖昧さをともなう概念として構想されたことは確認しておく必要はある。だが、『言葉と物』と「異他なる空間」の両テクストを貫く共通性がないわけではない。言語空間であれ現実の空間であれ、広く自明のものとされている共通の修辞的基盤や統語的基盤、あるいは空間を成立させる整序性に、ヘテロトピアは亀裂を入れ、その範列的な序列を突き崩し、統辞法を縺れさせ、混乱させる機能をもっている点だ。

 その意味でヘテロトピアとは、「社会の制度そのものの中で構成された反=場所」ということができる。みずからが属する文化の内側に見いだしうる現実の場所を、同時に表象し=異議を申し立て=反転する、そのような空間である。それは社会制度や文化の内部にありながら外部性を包含し、他のあらゆる場所から絶対的に異他なる空間として生成されるのだ。
 さしあたりヘテロトピアを以上のように定義するとき、「異他なる空間」(ヘテロトピア)に向かおうとする力学は、テクノクラシーによって構成された言語・社会・空間システムに不安を与えるものにならざるをえない。本シンポジウムでは、具体的な事例や作品をとりあげながら、芸術や社会運動において「異他なる空間」(ヘテロトピア)がどのような文化的・政治的実践として展開されているかを明らかにする。


日時 :2014年11月22日14:00~18:00
会場: 立教大学 池袋キャンパス 7号館2階7205教室
報告・討論者
石田尚志(いしだ・たかし、画家・映像作家、多摩美術大学准教授)
石山徳子(いしやま・のりこ、北米地理学研究、明治大学教授)
倉石信乃(くらいし・しの、美学・美術史、明治大学教授)
虎岩直子(とらいわ・なおこ、アイルランド文学・文化論、明治大学教授)
林みどり(はやし・みどり、ラテンアメリカ思想文化論、立教大学教授)
入場無料、予約不要

【個別報告─1】
「北アイルランドの現代詩人が送る〈ヘテロトピア〉への招待状」  虎岩 直子


【個別報告─2】
「入植の記憶と写真」 倉石 信乃
 

【個別報告─3】
「アメリカ原子力開発とヘテロトピアの地理空間 ハンフォード・サイトを事例に」 石山 徳子
 

【個別報告─4】
「鏡のヘテロトピア ―
 究極の強制失踪者へ」」 林 みどり
 

【個別報告─5】
「アトリエはどこにあるかー作品が作られる場ついての具体的な報告」  石田 尚志

詳細はこちら
http://www.rikkyo.ac.jp/hikaku-bunmei/subject_now/information/info_026.html