こんにちは。
春休みに入って1か月以上が経ちました。
皆様、いかがお過ごしですか?
2月14日に2009年度の講座案内をホームページに掲載しましたが、ご覧いただけたでしょうか?
さて、春休みはそれぞれの過ごし方があるようですね。
修了式のご案内をした方の中には、海外にいらした方もいたようです。
勉強会を企画して、春休みの間も別の形式で勉強を続けている人たちもいるようです。
そんなグループのひとつから、勉強会のお知らせをブログで案内してほしいとの連絡がありました。
他にもそのようなお知らせがありましたら、どうぞご連絡ください。
***************************
各位 「回し読みの会」のご案内
スペイン語の童話や児童書の回し読みをしませんか?「回し読み」にするのは、少ない費用で数多くの図書を手に取るためです。「童話や児童書」を選んだのは、多読を通じて脱初心者といきたいからです。
ご存知のとおり、ハードカバーの値段は児童書といえどもバカになりません。三〇冊、四〇冊読むつもりなら十万円近くかかるかも知れません。「回し読み」なら一人数千円出せば、数十冊を読む機会に恵まれます。
私達二人はスペイン語初心者ですから、いきなりMarquezやLlosaから入るわけにはいきません。怠け者の中年なので新聞やラジオから始めるのもおっくうです。とくに今回はスペイン語を読むことを楽しみたいので、なるべくなら辞書をあまり引かず、くり返し読めば内容が分かるレベルにひたりたい。だから「童話や児童書」を選びました。イラストを頼りにすれば語学力に難があって何とか見当はつきますもの。
各自数冊買って、読み終えたら簡単なコメントと共に次の人に送る。そうしたやりとりを一週間に一度ずつ続ける。一ヶ月に一度くらいは合評会を開きたいですね。もちろん読めなかった箇所を教えあう機会でもあります。
問題になるのは本の選択です。ネット書店「ミランフ洋書店」が頼りになります。
http://www.miranfu.com/19.html
このお店、取扱書籍を選ぶ基準がハッキリしています。1.ストーリーや内容がおもしろいもの。2.文章が美しく、イラストレーションも楽しめるもの。3.英米の有名作品の翻訳や名作版のリライトでないもの。4.高価すぎないもの。
気に入っているのは3と4です。ハリーポッターも勉強にはなるでしょうけれど、スペイン語で書かれた作品にふれるのが学習者の醍醐味というものでしょう。4を気に入っている理由は言うまでもありません。サイトを読んでいただければお分かりのように、このお店、読む快感を味わいたい者にとって最良の味方になってくれそうです。
むろん店長ご自身が取扱書籍のすべてに目を通しています。ちなみに店長は『ペドロの作文』他、スペイン語の児童書の翻訳者で知られる宇野和美さん。スペイン語通信添削講座イスパニカの講師もなさっていらっしゃいます。メール交換した感じからしてフレンドリーで、信頼のおけそうな方です。
書籍はすべて難易度別に「はじめて読むなら」から「自信がついたら」まで4段階に分け、それぞれ10数冊を販売しています。5人いれば数ヶ月で読み終えられるかも?
趣旨にご賛同の方は下記宛てにメールを送って下さい。
お時間が合えば3月1日(日)午後2:00、大学近くの公民館でお会いしましょう。ご参加の程、心からお待ち申し上げております。
モリベ:moribe@magazine.co.jp
サトウ:fuyu7400@yahoo.co.jp
立教大学ラテンアメリカ研究所事務局が講演会やラテンアメリカ講座に関する日々の様々な出来事とラテンアメリカ関連情報をお伝えします。La secretaría del Instituto informa las novedades sobre las conferencias y el curso del Instituto de estudios latinoamericanos de la Universidad Rikkyo.
2009年2月25日水曜日
2009年2月18日水曜日
コルタサル没後25周年に寄せて
伊高浩昭(ジャーナリスト)
パリを拠点に活動した亜国人作家フリオ・コルタサル(1903~84)が死んでから二〇〇九年二月一二日で二五年が過ぎた。コルタサルですぐに浮かぶのは、代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』である。一九六一年の作品で、日本では八四年に訳書(土岐恒二訳、集英社)が出ている。「アルヘンティーナの正体をつかむには、その恥の側面から立ち向かい、幾多の論客が説明してきたように、一世紀にわたるあらゆる種類の権利侵害によって隠蔽されてきた、顔の赤らむ恥辱を探求する必要がある。だが、アルヘンティーナの数々の卓越性をむなしくこき下ろす道化役者となるだけの元気が誰にあるだろうか」――『石蹴り遊び』に出てくるこの箇所が好きだ。
「あんた、アルヘンティーナの悲劇は老人に牛耳られていることにあるって言ったんじゃないの」―「その悲劇もすでに幕が下りてしまったのさ」。こうも書いている。コルタサルはペロン政権時代の四六年、メンドサのクヨ大学で南欧文学の教授をしていたとき、教育現場や文化への介入を強めたペロン体制を批判して大学を去った。五一年にパリに移って、この代表作を書いた。ペロンもやがて政権を追われ、スペインに亡命する。
だがペロンは亡命先のマドリーから七二年、ブエノスアイレスに一七年ぶりに帰還し、翌七三年、不死鳥のごとく政権に返り咲く。私は当時、何度もブエノスイアレスに行って政治情勢を取材していたが、さまざまな傾向をもつペロン派は政権復帰を目前にして誰もが主人公になりたがっていた。コルタサルが一〇年ちょっと前に『石蹴り遊び』に書いた「自分たちは純正なるアルヘンティニダー(亜国性)の模範だと信じ込んでいるのに、実はただの馬糞の中に浮かび漂っているだけと知ったら、仰向けに卒倒することだろう」という痛烈な皮肉は、ペロン復活前夜の時代に色あせずに生きていた。私は、記者会見でペロンと握手して会話したり質問したりし、街を歩き回っては、ペロン復活政権の成り行きを細かく追っていた。だから、コルタサルの描写に強く惹かれたのだ。
政権に復帰したペロンは高齢に加えて難病もちで、一年ももたずに死んでいく。後継のイサベル夫人の政権は七六年に軍政に取って代わられ、亜国は八三年の民政移管まで六年あまり殺戮と弾圧の巷と化す。コルタサルはそのころから八〇年代初めにかけて、サンディニスタ革命前夜と革命後のニカラグアに何度か足を運ぶ。その体験を『かくも激しく甘きニカラグア(ニカラグア・タン・ビオレンタメンテ・ドゥルセ)』にまとめ、死の年、八四年に著す。日本では八九年に訳書(田村さと子訳、晶文社)が出た。「ふたたび、ソレンティナーメへ」の章に、「(七九年七月一九日のサンディニスタ革命後も)貧しい生活に変わりはなく、熱帯の猛暑、あの熱帯のけだるさ、錯綜、重症のマチズモなどにもかかわらず、ラ米の酷熱帯の縁で、薔薇色やオレンジ色から緑色のビロードに転じる日暮れのように、ニカラグアはかくも激しく甘く、やがて、降るような豹の目にみち、むせるように香る、濃く厚い夜が落ちてくる」と書かれている。この本の題名はここから来ている。ソモサ独裁時代の六九年からニカラグアを取材してきた私にとって、この本も味わい深い。
コルタサルは、「世界中のあちこちに亡命している無数のラ米人の亡命が、何らかの意味をもつものであるとしたら、苦悩や望郷の念がもたらす否定的側面ではなく、ブーメランを恐るべきものと成す威力を生み出す全面的転換、帰還の力である。この帰還の意志を失くしていないかぎり、その人の能力や想像力はラ米の民衆に貢献できるだろうし、またそうでなければならない」――ニカラグアについての本の「ラ米における作家とその役割」の章でそう書いている。欧州亡命中のコルタサルは、極悪の軍政の支配する祖国には帰らなかったが、〈大なる祖国〉ラ米に包含されるニカラグアに〈帰還〉し、滞在した。「亡命者の帰還」という点で、コルタサルはペロンの帰還をどう受けとめていたのだろう。コルタサルは、ペロンの右腕で、ペロンの最終的な帰還に先立ってペロン派政権を復活させた左翼のエクトル・カンポラ大統領とは和解していた。 ラ米に連なるスペイン語圏一八カ国。コルタサルにとって、あるいはすべてのラ米人にとってラ米全体が〈祖国〉なのだ。物書きにとって決定的なのは、表現するため用いる言語である。翻訳が不要な国々の連なり、見事すぎる! ペンの徒のはしくれとして、羨ましい。ラ米の延長線上には、米国支配下の西語圏の島プエルト・リコがある。さらには米国内の西語社会の広がりがある。
コルタサルは八三年、〈小さな祖国〉アルヘンティーナに一時帰国した。民政移管によってアルフォンシン政権が登場したころで、友人や市民から温かく迎えられた。軍政は、八二年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北で決定的な打撃を受けてついえた。コルタサルは同年書いた「ニカラグア素描」の章に、「いかなる国も自国の利益や主権が他国によって侵されようとすると怒りを爆発させるもので、多くの場合、必ずしも思慮深いとは言えない愛国心を利用しようと待ちかまえている体制の挑発に、うかつにも乗せられたり操作されたりしているのだ。現在起こりつつあるマルビーナス諸島をめぐる英国とアルヘンティーナがいい例だろう」と記している。
この戦争を亜国側から報道し、戦後二回マルビーナス諸島を訪ねた私は、コルタサルの言うとおり、愛国心の洪水を目の当たりにした。日本で知られる亜国人歌手グラシエラ=スサーナ・アンブロシオも、ブエノスアイレスで義捐金集めの愛国行進に参加していた。私は〈小さな祖国〉日本に、愛国心が武装する時代が二度と来ないよう、職務を通じて努めるのがジャーナリストの使命だと心したものだ。
日本人には、ラ米人がもつラ米のような〈大なる祖国〉はない。ならば、周辺のアジア諸国とともに〈大なる祖国〉を築く共通目標を定め、そのような方向に変わっていかなければなるまい。さまざまな言語をもつ欧州人が欧州連合を実現させたのを、困難さにおいてはるかに上回る偉業を達成しなければならない。コルタサルが四半世紀前に表したニカラグアについての本も依然、問題を提起しつづけている。だから新しい。(了)
パリを拠点に活動した亜国人作家フリオ・コルタサル(1903~84)が死んでから二〇〇九年二月一二日で二五年が過ぎた。コルタサルですぐに浮かぶのは、代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』である。一九六一年の作品で、日本では八四年に訳書(土岐恒二訳、集英社)が出ている。「アルヘンティーナの正体をつかむには、その恥の側面から立ち向かい、幾多の論客が説明してきたように、一世紀にわたるあらゆる種類の権利侵害によって隠蔽されてきた、顔の赤らむ恥辱を探求する必要がある。だが、アルヘンティーナの数々の卓越性をむなしくこき下ろす道化役者となるだけの元気が誰にあるだろうか」――『石蹴り遊び』に出てくるこの箇所が好きだ。
「あんた、アルヘンティーナの悲劇は老人に牛耳られていることにあるって言ったんじゃないの」―「その悲劇もすでに幕が下りてしまったのさ」。こうも書いている。コルタサルはペロン政権時代の四六年、メンドサのクヨ大学で南欧文学の教授をしていたとき、教育現場や文化への介入を強めたペロン体制を批判して大学を去った。五一年にパリに移って、この代表作を書いた。ペロンもやがて政権を追われ、スペインに亡命する。
だがペロンは亡命先のマドリーから七二年、ブエノスアイレスに一七年ぶりに帰還し、翌七三年、不死鳥のごとく政権に返り咲く。私は当時、何度もブエノスイアレスに行って政治情勢を取材していたが、さまざまな傾向をもつペロン派は政権復帰を目前にして誰もが主人公になりたがっていた。コルタサルが一〇年ちょっと前に『石蹴り遊び』に書いた「自分たちは純正なるアルヘンティニダー(亜国性)の模範だと信じ込んでいるのに、実はただの馬糞の中に浮かび漂っているだけと知ったら、仰向けに卒倒することだろう」という痛烈な皮肉は、ペロン復活前夜の時代に色あせずに生きていた。私は、記者会見でペロンと握手して会話したり質問したりし、街を歩き回っては、ペロン復活政権の成り行きを細かく追っていた。だから、コルタサルの描写に強く惹かれたのだ。
政権に復帰したペロンは高齢に加えて難病もちで、一年ももたずに死んでいく。後継のイサベル夫人の政権は七六年に軍政に取って代わられ、亜国は八三年の民政移管まで六年あまり殺戮と弾圧の巷と化す。コルタサルはそのころから八〇年代初めにかけて、サンディニスタ革命前夜と革命後のニカラグアに何度か足を運ぶ。その体験を『かくも激しく甘きニカラグア(ニカラグア・タン・ビオレンタメンテ・ドゥルセ)』にまとめ、死の年、八四年に著す。日本では八九年に訳書(田村さと子訳、晶文社)が出た。「ふたたび、ソレンティナーメへ」の章に、「(七九年七月一九日のサンディニスタ革命後も)貧しい生活に変わりはなく、熱帯の猛暑、あの熱帯のけだるさ、錯綜、重症のマチズモなどにもかかわらず、ラ米の酷熱帯の縁で、薔薇色やオレンジ色から緑色のビロードに転じる日暮れのように、ニカラグアはかくも激しく甘く、やがて、降るような豹の目にみち、むせるように香る、濃く厚い夜が落ちてくる」と書かれている。この本の題名はここから来ている。ソモサ独裁時代の六九年からニカラグアを取材してきた私にとって、この本も味わい深い。
コルタサルは、「世界中のあちこちに亡命している無数のラ米人の亡命が、何らかの意味をもつものであるとしたら、苦悩や望郷の念がもたらす否定的側面ではなく、ブーメランを恐るべきものと成す威力を生み出す全面的転換、帰還の力である。この帰還の意志を失くしていないかぎり、その人の能力や想像力はラ米の民衆に貢献できるだろうし、またそうでなければならない」――ニカラグアについての本の「ラ米における作家とその役割」の章でそう書いている。欧州亡命中のコルタサルは、極悪の軍政の支配する祖国には帰らなかったが、〈大なる祖国〉ラ米に包含されるニカラグアに〈帰還〉し、滞在した。「亡命者の帰還」という点で、コルタサルはペロンの帰還をどう受けとめていたのだろう。コルタサルは、ペロンの右腕で、ペロンの最終的な帰還に先立ってペロン派政権を復活させた左翼のエクトル・カンポラ大統領とは和解していた。 ラ米に連なるスペイン語圏一八カ国。コルタサルにとって、あるいはすべてのラ米人にとってラ米全体が〈祖国〉なのだ。物書きにとって決定的なのは、表現するため用いる言語である。翻訳が不要な国々の連なり、見事すぎる! ペンの徒のはしくれとして、羨ましい。ラ米の延長線上には、米国支配下の西語圏の島プエルト・リコがある。さらには米国内の西語社会の広がりがある。
コルタサルは八三年、〈小さな祖国〉アルヘンティーナに一時帰国した。民政移管によってアルフォンシン政権が登場したころで、友人や市民から温かく迎えられた。軍政は、八二年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北で決定的な打撃を受けてついえた。コルタサルは同年書いた「ニカラグア素描」の章に、「いかなる国も自国の利益や主権が他国によって侵されようとすると怒りを爆発させるもので、多くの場合、必ずしも思慮深いとは言えない愛国心を利用しようと待ちかまえている体制の挑発に、うかつにも乗せられたり操作されたりしているのだ。現在起こりつつあるマルビーナス諸島をめぐる英国とアルヘンティーナがいい例だろう」と記している。
この戦争を亜国側から報道し、戦後二回マルビーナス諸島を訪ねた私は、コルタサルの言うとおり、愛国心の洪水を目の当たりにした。日本で知られる亜国人歌手グラシエラ=スサーナ・アンブロシオも、ブエノスアイレスで義捐金集めの愛国行進に参加していた。私は〈小さな祖国〉日本に、愛国心が武装する時代が二度と来ないよう、職務を通じて努めるのがジャーナリストの使命だと心したものだ。
日本人には、ラ米人がもつラ米のような〈大なる祖国〉はない。ならば、周辺のアジア諸国とともに〈大なる祖国〉を築く共通目標を定め、そのような方向に変わっていかなければなるまい。さまざまな言語をもつ欧州人が欧州連合を実現させたのを、困難さにおいてはるかに上回る偉業を達成しなければならない。コルタサルが四半世紀前に表したニカラグアについての本も依然、問題を提起しつづけている。だから新しい。(了)
2009年2月15日日曜日
HP全面リニューアル一周年
2008年2月14日に全面リニューアルしたWebSiteを公開しました。 昨日で新しいWebSiteを運用し始めて1年になりました。
アクセスカウンターは昨年4月から再カウントを始めているので、1年間のサイト訪問者は1万前後でしょう。年間アクセス数約1万というのは、存在を知っている人が訪問するサイトという数値だそうです。
たまに数字や日時の間違いなどもあり、失敗したこともあるのですが、概ね、役に立っているように感じられます。
1年たった今では、日々進化をとげているWebsiteの中では、このページも新しく感じられないようになりつつあります。
日頃の業務の多さから、なかなか「進化したHP」には着手できないでいるのですが、HPの更新すらできなかった、1年前から比べると、最近ではソースコードからリンクの張り替えもできるようになるなど、担当者としてはスキルの進化を感じています。 そういった進化はサイト上では見ることはできないのですけれども。
今後も少しずつ技術を向上させ、見やすくて親しみやすいWebsiteを育てていくつもりです。
この1年間皆様の温かい励ましと寄稿などによるご協力に心から感謝申し上げます。
2009年2月3日火曜日
翻訳の難しさ
昨日ニコラス神父の記事を引用したのは、ラテンアメリカ研究所の伝統の重みを考えさせられたこともあるが、同時に翻訳の難しさというものを感じたためでもある。
最初にこの記事を目にしたのは、「解放の神学にもっと時間を」とイエズス会総会長という雑誌のタイトルである。
その中に、昨日私が仮訳をした文章が別の翻訳で掲載されていた。
「・・・・それが(解放の神学が)「信任」を得られないのは、飛ぶことを学ぶ前に翼が切られるような恥辱だ」
イエズス会の総会長が、解放の神学がバチカンから認められていないことを『恥辱だ』・・・などと果たしていうものだろうか、と疑問に思った。
そこで、原文を探したみたのが、昨日ブログに引用した文章である。
スペイン語の発言では Es una lástima que とある。
調べてみると、いくつもの英訳があるが、
たとえばWikipediaのニコラス神父の項目では
Liberation theology
In a November 2008 interview with El Periodico, Nicolás described liberation theology as a "courageous and creative response to an unbearable situation of injustice in Latin America."[13] These remarks are particularly controversial since liberation theology has been pointedly denounced by Pope John Paul II[14] and by Pope Benedict XVI, when he was still Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith.[15] However, the Superior General also added, "As with any theology, liberation theology needs years to mature. It’s a shame that it has not been given a vote of confidence and that soon its wings will be cut before it learns to fly. It needs more time."[13]
http://en.wikipedia.org/wiki/Adolfo_Nicol%C3%A1s
とある。
封印された状態にある解放の神学が円熟するまでに時間が与えられなかったことを残念であるとイエズス会総会長がコメントするだけでもかなり大変なことであるのに、スペイン語のes una lástimaが shame になり、日本語で恥辱になると、日本の読者はさぞ驚くことだろう。
原文理解の大切さを感じた出来事である。
(文責:篠塚)
最初にこの記事を目にしたのは、「解放の神学にもっと時間を」とイエズス会総会長という雑誌のタイトルである。
その中に、昨日私が仮訳をした文章が別の翻訳で掲載されていた。
「・・・・それが(解放の神学が)「信任」を得られないのは、飛ぶことを学ぶ前に翼が切られるような恥辱だ」
イエズス会の総会長が、解放の神学がバチカンから認められていないことを『恥辱だ』・・・などと果たしていうものだろうか、と疑問に思った。
そこで、原文を探したみたのが、昨日ブログに引用した文章である。
スペイン語の発言では Es una lástima que とある。
調べてみると、いくつもの英訳があるが、
たとえばWikipediaのニコラス神父の項目では
Liberation theology
In a November 2008 interview with El Periodico, Nicolás described liberation theology as a "courageous and creative response to an unbearable situation of injustice in Latin America."[13] These remarks are particularly controversial since liberation theology has been pointedly denounced by Pope John Paul II[14] and by Pope Benedict XVI, when he was still Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith.[15] However, the Superior General also added, "As with any theology, liberation theology needs years to mature. It’s a shame that it has not been given a vote of confidence and that soon its wings will be cut before it learns to fly. It needs more time."[13]
http://en.wikipedia.org/wiki/Adolfo_Nicol%C3%A1s
とある。
封印された状態にある解放の神学が円熟するまでに時間が与えられなかったことを残念であるとイエズス会総会長がコメントするだけでもかなり大変なことであるのに、スペイン語のes una lástimaが shame になり、日本語で恥辱になると、日本の読者はさぞ驚くことだろう。
原文理解の大切さを感じた出来事である。
(文責:篠塚)
2009年2月2日月曜日
解放の神学
ラテンアメリカ研究所の活動の中心であるラテンアメリカ講座の歴史は長く、約45年である。
初期のラテ研の講師陣をみると、現在ではラテンアメリカ学会の重鎮になっている方も多い。受講生の中からたくさんの研究者が生まれていることは言うまでもない。
学会とは別ではあるが、講師陣の中で世界的に有名になった人物といえば、現在のイエズス会総会長のアドルフォ・ニコラス神父だろう。
総会長になってからは海外のニュースでもニコラス神父の名前を目にするようになった。
最近見つけたニコラス神父に関する記事は、解放の神学についての見解である。解放の神学といえば、現在では教会の中では封印されてしまっている印象を受けるが、これについて言及したものである。
インタビューの中で、ニコラス神父に対してなされた質問
疎外された人たちのためにイエズス会士たちが行っている活動において、解放の神学は今も意味を持ち続けているのでしょうか?
これに対して、
「(解放の神学は)ラテンアメリカでの耐えがたい不正の状況に対して勇敢に新しいものを創ろうというひとつの答えとして生まれたものです。あらゆる神学は成熟するまでに時間がかかります。「信任票」が与えられずに、鳥が飛ぶことを学ぶ前に翼が切られたようになったのは残念なことです。(神学として成熟したものになるためには、解放の神学にも)時間を与える必要があるのです。」(訳:篠塚)
と答えている。
このEl periodicoのインタビューが話題となっている。
詳細はこちらから
http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=46&idioma=CAS&idnoticia_PK=561824&idseccio_PK=1021
(文責:篠塚)
初期のラテ研の講師陣をみると、現在ではラテンアメリカ学会の重鎮になっている方も多い。受講生の中からたくさんの研究者が生まれていることは言うまでもない。
学会とは別ではあるが、講師陣の中で世界的に有名になった人物といえば、現在のイエズス会総会長のアドルフォ・ニコラス神父だろう。
総会長になってからは海外のニュースでもニコラス神父の名前を目にするようになった。
最近見つけたニコラス神父に関する記事は、解放の神学についての見解である。解放の神学といえば、現在では教会の中では封印されてしまっている印象を受けるが、これについて言及したものである。
インタビューの中で、ニコラス神父に対してなされた質問
疎外された人たちのためにイエズス会士たちが行っている活動において、解放の神学は今も意味を持ち続けているのでしょうか?
これに対して、
「(解放の神学は)ラテンアメリカでの耐えがたい不正の状況に対して勇敢に新しいものを創ろうというひとつの答えとして生まれたものです。あらゆる神学は成熟するまでに時間がかかります。「信任票」が与えられずに、鳥が飛ぶことを学ぶ前に翼が切られたようになったのは残念なことです。(神学として成熟したものになるためには、解放の神学にも)時間を与える必要があるのです。」(訳:篠塚)
と答えている。
このEl periodicoのインタビューが話題となっている。
詳細はこちらから
http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=46&idioma=CAS&idnoticia_PK=561824&idseccio_PK=1021
(文責:篠塚)
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