2009年2月3日火曜日

翻訳の難しさ

昨日ニコラス神父の記事を引用したのは、ラテンアメリカ研究所の伝統の重みを考えさせられたこともあるが、同時に翻訳の難しさというものを感じたためでもある。

最初にこの記事を目にしたのは、「解放の神学にもっと時間を」とイエズス会総会長という雑誌のタイトルである。

その中に、昨日私が仮訳をした文章が別の翻訳で掲載されていた。

「・・・・それが(解放の神学が)「信任」を得られないのは、飛ぶことを学ぶ前に翼が切られるような恥辱だ」

イエズス会の総会長が、解放の神学がバチカンから認められていないことを『恥辱だ』・・・などと果たしていうものだろうか、と疑問に思った。

そこで、原文を探したみたのが、昨日ブログに引用した文章である。

スペイン語の発言では Es una lástima que とある。
調べてみると、いくつもの英訳があるが、

たとえばWikipediaのニコラス神父の項目では
Liberation theology
In a November 2008 interview with El Periodico, Nicolás described liberation theology as a "courageous and creative response to an unbearable situation of injustice in Latin America."[13] These remarks are particularly controversial since liberation theology has been pointedly denounced by Pope John Paul II[14] and by Pope Benedict XVI, when he was still Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith.[15] However, the Superior General also added, "As with any theology, liberation theology needs years to mature. It’s a shame that it has not been given a vote of confidence and that soon its wings will be cut before it learns to fly. It needs more time."[13]
http://en.wikipedia.org/wiki/Adolfo_Nicol%C3%A1s

とある。

封印された状態にある解放の神学が円熟するまでに時間が与えられなかったことを残念であるとイエズス会総会長がコメントするだけでもかなり大変なことであるのに、スペイン語のes una lástimaが shame になり、日本語で恥辱になると、日本の読者はさぞ驚くことだろう。

原文理解の大切さを感じた出来事である。

(文責:篠塚)