伊高浩昭(ジャーナリスト)
パリを拠点に活動した亜国人作家フリオ・コルタサル(1903~84)が死んでから二〇〇九年二月一二日で二五年が過ぎた。コルタサルですぐに浮かぶのは、代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』である。一九六一年の作品で、日本では八四年に訳書(土岐恒二訳、集英社)が出ている。「アルヘンティーナの正体をつかむには、その恥の側面から立ち向かい、幾多の論客が説明してきたように、一世紀にわたるあらゆる種類の権利侵害によって隠蔽されてきた、顔の赤らむ恥辱を探求する必要がある。だが、アルヘンティーナの数々の卓越性をむなしくこき下ろす道化役者となるだけの元気が誰にあるだろうか」――『石蹴り遊び』に出てくるこの箇所が好きだ。
「あんた、アルヘンティーナの悲劇は老人に牛耳られていることにあるって言ったんじゃないの」―「その悲劇もすでに幕が下りてしまったのさ」。こうも書いている。コルタサルはペロン政権時代の四六年、メンドサのクヨ大学で南欧文学の教授をしていたとき、教育現場や文化への介入を強めたペロン体制を批判して大学を去った。五一年にパリに移って、この代表作を書いた。ペロンもやがて政権を追われ、スペインに亡命する。
だがペロンは亡命先のマドリーから七二年、ブエノスアイレスに一七年ぶりに帰還し、翌七三年、不死鳥のごとく政権に返り咲く。私は当時、何度もブエノスイアレスに行って政治情勢を取材していたが、さまざまな傾向をもつペロン派は政権復帰を目前にして誰もが主人公になりたがっていた。コルタサルが一〇年ちょっと前に『石蹴り遊び』に書いた「自分たちは純正なるアルヘンティニダー(亜国性)の模範だと信じ込んでいるのに、実はただの馬糞の中に浮かび漂っているだけと知ったら、仰向けに卒倒することだろう」という痛烈な皮肉は、ペロン復活前夜の時代に色あせずに生きていた。私は、記者会見でペロンと握手して会話したり質問したりし、街を歩き回っては、ペロン復活政権の成り行きを細かく追っていた。だから、コルタサルの描写に強く惹かれたのだ。
政権に復帰したペロンは高齢に加えて難病もちで、一年ももたずに死んでいく。後継のイサベル夫人の政権は七六年に軍政に取って代わられ、亜国は八三年の民政移管まで六年あまり殺戮と弾圧の巷と化す。コルタサルはそのころから八〇年代初めにかけて、サンディニスタ革命前夜と革命後のニカラグアに何度か足を運ぶ。その体験を『かくも激しく甘きニカラグア(ニカラグア・タン・ビオレンタメンテ・ドゥルセ)』にまとめ、死の年、八四年に著す。日本では八九年に訳書(田村さと子訳、晶文社)が出た。「ふたたび、ソレンティナーメへ」の章に、「(七九年七月一九日のサンディニスタ革命後も)貧しい生活に変わりはなく、熱帯の猛暑、あの熱帯のけだるさ、錯綜、重症のマチズモなどにもかかわらず、ラ米の酷熱帯の縁で、薔薇色やオレンジ色から緑色のビロードに転じる日暮れのように、ニカラグアはかくも激しく甘く、やがて、降るような豹の目にみち、むせるように香る、濃く厚い夜が落ちてくる」と書かれている。この本の題名はここから来ている。ソモサ独裁時代の六九年からニカラグアを取材してきた私にとって、この本も味わい深い。
コルタサルは、「世界中のあちこちに亡命している無数のラ米人の亡命が、何らかの意味をもつものであるとしたら、苦悩や望郷の念がもたらす否定的側面ではなく、ブーメランを恐るべきものと成す威力を生み出す全面的転換、帰還の力である。この帰還の意志を失くしていないかぎり、その人の能力や想像力はラ米の民衆に貢献できるだろうし、またそうでなければならない」――ニカラグアについての本の「ラ米における作家とその役割」の章でそう書いている。欧州亡命中のコルタサルは、極悪の軍政の支配する祖国には帰らなかったが、〈大なる祖国〉ラ米に包含されるニカラグアに〈帰還〉し、滞在した。「亡命者の帰還」という点で、コルタサルはペロンの帰還をどう受けとめていたのだろう。コルタサルは、ペロンの右腕で、ペロンの最終的な帰還に先立ってペロン派政権を復活させた左翼のエクトル・カンポラ大統領とは和解していた。 ラ米に連なるスペイン語圏一八カ国。コルタサルにとって、あるいはすべてのラ米人にとってラ米全体が〈祖国〉なのだ。物書きにとって決定的なのは、表現するため用いる言語である。翻訳が不要な国々の連なり、見事すぎる! ペンの徒のはしくれとして、羨ましい。ラ米の延長線上には、米国支配下の西語圏の島プエルト・リコがある。さらには米国内の西語社会の広がりがある。
コルタサルは八三年、〈小さな祖国〉アルヘンティーナに一時帰国した。民政移管によってアルフォンシン政権が登場したころで、友人や市民から温かく迎えられた。軍政は、八二年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北で決定的な打撃を受けてついえた。コルタサルは同年書いた「ニカラグア素描」の章に、「いかなる国も自国の利益や主権が他国によって侵されようとすると怒りを爆発させるもので、多くの場合、必ずしも思慮深いとは言えない愛国心を利用しようと待ちかまえている体制の挑発に、うかつにも乗せられたり操作されたりしているのだ。現在起こりつつあるマルビーナス諸島をめぐる英国とアルヘンティーナがいい例だろう」と記している。
この戦争を亜国側から報道し、戦後二回マルビーナス諸島を訪ねた私は、コルタサルの言うとおり、愛国心の洪水を目の当たりにした。日本で知られる亜国人歌手グラシエラ=スサーナ・アンブロシオも、ブエノスアイレスで義捐金集めの愛国行進に参加していた。私は〈小さな祖国〉日本に、愛国心が武装する時代が二度と来ないよう、職務を通じて努めるのがジャーナリストの使命だと心したものだ。
日本人には、ラ米人がもつラ米のような〈大なる祖国〉はない。ならば、周辺のアジア諸国とともに〈大なる祖国〉を築く共通目標を定め、そのような方向に変わっていかなければなるまい。さまざまな言語をもつ欧州人が欧州連合を実現させたのを、困難さにおいてはるかに上回る偉業を達成しなければならない。コルタサルが四半世紀前に表したニカラグアについての本も依然、問題を提起しつづけている。だから新しい。(了)