6月29日東京大学で行われた、シンポジウム「世界の文学とラテンアメリカ」にはラテ研受講生、元受講生がたくさん出席していました。ラテンアメリカ文学だけでなく、桜庭一樹さんの創作の秘密にも触れる事ができ、これ以上ないほどの贅沢なシンポジウムでした。
もうひとつ素敵な講演会のご紹介です。7月3日(木)セルバンテス文化センターで行われる、フリオ・コルタサル展覧会のオープニングを兼ねた野谷文昭先生の講演会です。ラテンアメリカ講座の文学担当の内田兆史先生のお話もあります。参加希望の方は直接セルバンテス文化センターに申込が必要です。
立教大学ラテンアメリカ研究所事務局が講演会やラテンアメリカ講座に関する日々の様々な出来事とラテンアメリカ関連情報をお伝えします。La secretaría del Instituto informa las novedades sobre las conferencias y el curso del Instituto de estudios latinoamericanos de la Universidad Rikkyo.
2008年6月30日月曜日
2008年6月28日土曜日
Fiesta Latina, Fiesta Salvadoreña
今日はFiestaの日。授業が終ると皆で赤坂にある会場へ。
幹事の口利きでFiesta告知の日のブログにある素敵なAmbe Cuatroを今日は貸切。
会場はラテ研ムード一色に染まりました。
ラテンの音楽を聞きながら、今日始めて話す人ともおしゃべり。授業、旅行、Baile、食べ物、普段の生活、これからやりたいこと、どれもラテンアメリカがテーマ。
これだけ各年齢層に及ぶ、いろいろな職業の人が集まる場は東京でも稀有なことだと思う。
そして、一人二人と立ち上がり、Música y baile, baile y música, música y baile....
最後はほぼ全員で輪になって…A bailar!
この間ずっと素敵なパーカッションを聞かせてくれたBernardo
盛り上げてくれた司会のDeborah
BaileをリードしてくれたMicaela 音楽をリードしてくれたReina
4人の幹事さん、本当にありがとうございました。
何から何まで受講生に支えられているラテ研ですね。
写真は少し修整してからアップしますのでもうしばらくお待ち下さい。
Se ha celebradado hoy la fiesta salvadoreña organizada por los alumnos de la clase del tema II sobre América Latina. Al entrar en la sala del restaurante, ya se sentía el ambiente.
Música, cerveza, ron, cocacola, otras más bebidas,...Han organizado Deborah, Bernardo, Micaela y Reina esta fiesta.
La fiesta empezó con las palabras de los profesores, y después las charlas con todo el mundo, y la música y baile. Los primeros que han empezado a bailar, claro, eran profesores, Mario y Salvador. Después chicas y chicos. Al último, todos.. a bailar.....
Muchísimas gracias a los organizadores...¡Un gran aplauso a todos!
幹事の口利きでFiesta告知の日のブログにある素敵なAmbe Cuatroを今日は貸切。
会場はラテ研ムード一色に染まりました。
ラテンの音楽を聞きながら、今日始めて話す人ともおしゃべり。授業、旅行、Baile、食べ物、普段の生活、これからやりたいこと、どれもラテンアメリカがテーマ。
これだけ各年齢層に及ぶ、いろいろな職業の人が集まる場は東京でも稀有なことだと思う。
そして、一人二人と立ち上がり、Música y baile, baile y música, música y baile....
最後はほぼ全員で輪になって…A bailar!
この間ずっと素敵なパーカッションを聞かせてくれたBernardo
盛り上げてくれた司会のDeborah
BaileをリードしてくれたMicaela 音楽をリードしてくれたReina
4人の幹事さん、本当にありがとうございました。
何から何まで受講生に支えられているラテ研ですね。
写真は少し修整してからアップしますのでもうしばらくお待ち下さい。
Se ha celebradado hoy la fiesta salvadoreña organizada por los alumnos de la clase del tema II sobre América Latina. Al entrar en la sala del restaurante, ya se sentía el ambiente.
Música, cerveza, ron, cocacola, otras más bebidas,...Han organizado Deborah, Bernardo, Micaela y Reina esta fiesta.
La fiesta empezó con las palabras de los profesores, y después las charlas con todo el mundo, y la música y baile. Los primeros que han empezado a bailar, claro, eran profesores, Mario y Salvador. Después chicas y chicos. Al último, todos.. a bailar.....
Muchísimas gracias a los organizadores...¡Un gran aplauso a todos!
2008年6月27日金曜日
2008年6月20日金曜日
2008年6月19日木曜日
ブラジル日系移民百年の軌跡(その1)
昨日6月18日は日本からの初めての移民がブラジルのサントス港に到着した日でしたね。
ラテンアメリカ研究所は昨年より移民100周年を機に貴重な移民史料を保存するという活動に取り組んでいます。こうした活動の詳細はHPの「ブラジル日本人移民100年の軌跡」の部分にまとめてありますが、活動の一環として協力した番組「その時歴史が動いた」が昨日NHKで放送されました。再放送もされますので、お時間のある方はぜひご覧ください。
第329回移民は共存共栄の事業なり 〜ブラジル移民100年〜
再放送
平成20年6月24日(火)16:05〜16:48 総合 全国
ラテンアメリカ研究所は昨年より移民100周年を機に貴重な移民史料を保存するという活動に取り組んでいます。こうした活動の詳細はHPの「ブラジル日本人移民100年の軌跡」の部分にまとめてありますが、活動の一環として協力した番組「その時歴史が動いた」が昨日NHKで放送されました。再放送もされますので、お時間のある方はぜひご覧ください。
第329回移民は共存共栄の事業なり 〜ブラジル移民100年〜
再放送
平成20年6月24日(火)16:05〜16:48 総合 全国
2008年6月18日水曜日
Fiesta, Fiesta, Fiesta....
Fiestaのチラシ
一般的な大学の公開講座の場合、親睦を深めるための懇親会を開くことはあっても、なかなか大学生に戻ってクラスメートとの"飲み会"というのは少ないのではないでしょうか。
ラテ研の受講生を見ていると、こうしたクラスでの交流が頻繁に行われているように感じます。それも一度きりではなく何年も在籍している受講生がいることからこうしたクラスメート間の交流が広く行われているようです。
今回は受講生からのそんなお知らせです。企画は伊高講師のクラスの生徒たちですが全てのクラスの受講生が対象だそうです。積極的に参加して交流を深めてくださいね。
Fiesta Latina
伊高先生クラス 前期懇親会
日時:6月28日(土) 午後5時半スタート 8時半まで
会場:Ambe Cuatro
一般的な大学の公開講座の場合、親睦を深めるための懇親会を開くことはあっても、なかなか大学生に戻ってクラスメートとの"飲み会"というのは少ないのではないでしょうか。
ラテ研の受講生を見ていると、こうしたクラスでの交流が頻繁に行われているように感じます。それも一度きりではなく何年も在籍している受講生がいることからこうしたクラスメート間の交流が広く行われているようです。
今回は受講生からのそんなお知らせです。企画は伊高講師のクラスの生徒たちですが全てのクラスの受講生が対象だそうです。積極的に参加して交流を深めてくださいね。
Fiesta Latina
伊高先生クラス 前期懇親会
日時:6月28日(土) 午後5時半スタート 8時半まで
会場:Ambe Cuatro
東京メトロ 千代田線 赤坂5a 出口 徒歩2分
東京都港区赤坂2-15-12 パール赤坂B1F
03-3585-0065 会費:¥4000
Free Beer & Coke + One Mexican Tacos Plate for each
飲み物・CD持込OK
お申し込みは今週土曜日の伊高クラスまで・・・(14:50~16:20)
21日以降はラテ研までメールでお問合せください。
2008年6月14日土曜日
林みどり先生からのお知らせ(コルタサル)
「ラテ研の先生方の授業が聞きた~い!」
ときどき受講生からのこうした希望を耳にします。
そんな期待に応えて、ラテ研所員の林みどり先生の講演会をご紹介いたします。
今年は内田先生のラテンアメリカ文学もコルタサルがテーマ。野谷文昭先生の『愛しのグレンダ』の出版。そして近々セルバンテス文化センターでのコルタサル展示会などちょっとしたコルタサル・ブーム。特にコルタサルに関心のある方へのご紹介です。
林先生よりメッセージ
「ラテンアメリカに特化したワークショップではないのですが、 とりあえず私がコルタサルをネタに(!)しゃべくります。」だそうです。
ワークショップ:
「郊外(sub-urbia)」と「暴力」――パリ・プラハ・ブエノ スアイレス──
日時:2008年7月5日(土) 14:00~18:00
場所:立教大学池袋キャンパス5号館3階5301教室
報告者:
昼間 賢(早稲田大学)「マリー・ンディアイの「郊外的」な小説――外部で も内部でもない場所を生き延びること」
阿部賢一(武蔵大学)「終着駅を求めて――往還する〈ロマ〉」
林みどり(立教大学)「21世紀の口──フリオ・コルタサル再読」
コメンテータ:西谷 修(東京外国語大学) 林 浩平(恵泉女学園大学)
司会:澤田直(立教大学)
主催:日本学術振興会 「人文・社会科学振興のためのプロジェクト」研究領域 V-1
「伝統と越境――とどまる力と越え行く流れのインタラクション」
(プロジェクトリーダー: 沼野充義・東京大学)
第2グループ 「越境と多文化」 (代表者: 楯岡求美・神戸大学)
ときどき受講生からのこうした希望を耳にします。
そんな期待に応えて、ラテ研所員の林みどり先生の講演会をご紹介いたします。
今年は内田先生のラテンアメリカ文学もコルタサルがテーマ。野谷文昭先生の『愛しのグレンダ』の出版。そして近々セルバンテス文化センターでのコルタサル展示会などちょっとしたコルタサル・ブーム。特にコルタサルに関心のある方へのご紹介です。
林先生よりメッセージ
「ラテンアメリカに特化したワークショップではないのですが、 とりあえず私がコルタサルをネタに(!)しゃべくります。」だそうです。
ワークショップ:
「郊外(sub-urbia)」と「暴力」――パリ・プラハ・ブエノ スアイレス──
日時:2008年7月5日(土) 14:00~18:00
場所:立教大学池袋キャンパス5号館3階5301教室
報告者:
昼間 賢(早稲田大学)「マリー・ンディアイの「郊外的」な小説――外部で も内部でもない場所を生き延びること」
阿部賢一(武蔵大学)「終着駅を求めて――往還する〈ロマ〉」
林みどり(立教大学)「21世紀の口──フリオ・コルタサル再読」
コメンテータ:西谷 修(東京外国語大学) 林 浩平(恵泉女学園大学)
司会:澤田直(立教大学)
主催:日本学術振興会 「人文・社会科学振興のためのプロジェクト」研究領域 V-1
「伝統と越境――とどまる力と越え行く流れのインタラクション」
(プロジェクトリーダー: 沼野充義・東京大学)
第2グループ 「越境と多文化」 (代表者: 楯岡求美・神戸大学)
知のワンダーランド
8号館前に並ぶ移動掲示板
ラテンアメリカ研究所の職員として立教大学で働くようになって1年半ほどたちました。最初に立教大学に足を踏み入れたとき、立教大学は「知のワンダーランド」だなという印象を受けました。正門、5号館前、8号館前にはたくさんの、いわゆるタテカンバン(移動掲示板)がたくさん並んでいます。
受講生たちはラテンアメリカ研究所主催のものだけではなく他の研究所や大学主催の講演会にも足を運んでいるようです。ラテンアメリカ研究所主催ではなくてもラテンアメリカをテーマにした講演会は数多く行われているようです。こうした移動掲示板や大学のHPで関心のある講演会を見つけて参加するのも大学で学ぶ楽しみの一つです。
ラテンアメリカ研究所の職員として立教大学で働くようになって1年半ほどたちました。最初に立教大学に足を踏み入れたとき、立教大学は「知のワンダーランド」だなという印象を受けました。正門、5号館前、8号館前にはたくさんの、いわゆるタテカンバン(移動掲示板)がたくさん並んでいます。
受講生たちはラテンアメリカ研究所主催のものだけではなく他の研究所や大学主催の講演会にも足を運んでいるようです。ラテンアメリカ研究所主催ではなくてもラテンアメリカをテーマにした講演会は数多く行われているようです。こうした移動掲示板や大学のHPで関心のある講演会を見つけて参加するのも大学で学ぶ楽しみの一つです。
2008年6月13日金曜日
ホンジュラス便り
ホンジュラスの元ラテ研職員Wさんからお便りが届きました。
**************
今回のテーマはカーニバルです!
ホンジュラスの北部、カリブ海岸沿いのラ・セイバ市で、毎年恒例のカーニバルが開催されました。ラ・セイバ市のカーニバルは中米有数のイベントで、パレードは1日だけですが、その1ヶ月ほど前から周辺の町や村で地元の“Carnavalito”(小さなカーニバル)が開かれ、街全体がお祭ムードに包まれます。
この国際的行事に、日本のボランティアが文化紹介をする伝統が20年も続いています。そしてヒマそうに見えたのか(?)私が調整役の一人に指名され、約3ヶ月の準備期間を経て、80人近い日本軍団とともにラ・セイバに乗り込みました。
5月のホンジュラスは一年を通じて最も暑い時期です。おりしも今年は雨季の到来が遅く、普段カラリとした気候の首都テグシガルパでさえ粘り気のある暑さが肌にまとわりついていました。カリブからの海風を受けるラ・セイバは、普段からかなり高温多湿な地域ですから覚悟はしていましたが、車を降りた途端にすべてを溶かすような気だるい熱気が全身を包み、立っているだけで顔から背中から汗が流れていきました。
日本チームの出番は、前夜祭のステージと当日のパレードです。
前夜祭では歌に踊りにと2時間のステージを盛りだくさんのプログラムで飾りました。和太鼓や琴といった和楽器演奏、ソーラン節やエイサー、剣道に合気道の実演、コメディーチックな浦島太郎の上演まで多岐に渡りました。もちろんボランティア活動の紹介も欠かせません。今年は日本とホンジュラスの融合をキーワードに、ホンジュラスの歌や踊りも取り入れて、観客の注目を集めていました。ボランティアにはもともと芸達者が多いうえに、お互いに持っている芸を教えあうので、ますます芸の道に磨きがかかっていきます。「本業」が何か時々わからなくなってしまうほどです。
そしていよいよパレード当日。カーニバルといえばリオデジャネイロが世界的に有名ですが、ラ・セイバのカーニバルもリオと同様に各団体が山車を作り、ダンサーはお揃いの衣装で大通りを練り歩きます。
先頭はハーレーダビットソンの集団でした。何十台ものきらびやかなバイクが誇らしげにエンジンを吹かせます。そして次にはレトロな馬たち。まだほんの少年もまるで自分の手足のように馬を乗りこなし、颯爽と駆け抜けていきます。
今年の日本チームの目玉は、お神輿でした。木工を専門とするボランティアが何ヶ月もかけて作り上げた本格的なお神輿です。重さにして200キロ以上。首都から6時間も車で運ぶ苦労もさることながら、これだけの重さをこの暑さの中で果たして担げるのかと気が気ではありませんでした。しかしいざ始まってみればそれは取り越し苦労だったようで、ラ・セイバで活動する日本人ボランティアの呼びかけにより多くのホンジュラス人サポーターが駆けつけてくれて、見事にお神輿が担ぎ上げられ、ワッショイワッショイと大通りを練り歩きました。これこそホンジュラスと日本の融合という感動的なシーンでした。
いやはや、それにしても暑かった!!
1年分の汗をかき、不要なダイエットまでしてしまいました。(完)
**************
今回のテーマはカーニバルです!
ホンジュラスの北部、カリブ海岸沿いのラ・セイバ市で、毎年恒例のカーニバルが開催されました。ラ・セイバ市のカーニバルは中米有数のイベントで、パレードは1日だけですが、その1ヶ月ほど前から周辺の町や村で地元の“Carnavalito”(小さなカーニバル)が開かれ、街全体がお祭ムードに包まれます。
この国際的行事に、日本のボランティアが文化紹介をする伝統が20年も続いています。そしてヒマそうに見えたのか(?)私が調整役の一人に指名され、約3ヶ月の準備期間を経て、80人近い日本軍団とともにラ・セイバに乗り込みました。
5月のホンジュラスは一年を通じて最も暑い時期です。おりしも今年は雨季の到来が遅く、普段カラリとした気候の首都テグシガルパでさえ粘り気のある暑さが肌にまとわりついていました。カリブからの海風を受けるラ・セイバは、普段からかなり高温多湿な地域ですから覚悟はしていましたが、車を降りた途端にすべてを溶かすような気だるい熱気が全身を包み、立っているだけで顔から背中から汗が流れていきました。
日本チームの出番は、前夜祭のステージと当日のパレードです。
前夜祭では歌に踊りにと2時間のステージを盛りだくさんのプログラムで飾りました。和太鼓や琴といった和楽器演奏、ソーラン節やエイサー、剣道に合気道の実演、コメディーチックな浦島太郎の上演まで多岐に渡りました。もちろんボランティア活動の紹介も欠かせません。今年は日本とホンジュラスの融合をキーワードに、ホンジュラスの歌や踊りも取り入れて、観客の注目を集めていました。ボランティアにはもともと芸達者が多いうえに、お互いに持っている芸を教えあうので、ますます芸の道に磨きがかかっていきます。「本業」が何か時々わからなくなってしまうほどです。
そしていよいよパレード当日。カーニバルといえばリオデジャネイロが世界的に有名ですが、ラ・セイバのカーニバルもリオと同様に各団体が山車を作り、ダンサーはお揃いの衣装で大通りを練り歩きます。
先頭はハーレーダビットソンの集団でした。何十台ものきらびやかなバイクが誇らしげにエンジンを吹かせます。そして次にはレトロな馬たち。まだほんの少年もまるで自分の手足のように馬を乗りこなし、颯爽と駆け抜けていきます。
今年の日本チームの目玉は、お神輿でした。木工を専門とするボランティアが何ヶ月もかけて作り上げた本格的なお神輿です。重さにして200キロ以上。首都から6時間も車で運ぶ苦労もさることながら、これだけの重さをこの暑さの中で果たして担げるのかと気が気ではありませんでした。しかしいざ始まってみればそれは取り越し苦労だったようで、ラ・セイバで活動する日本人ボランティアの呼びかけにより多くのホンジュラス人サポーターが駆けつけてくれて、見事にお神輿が担ぎ上げられ、ワッショイワッショイと大通りを練り歩きました。これこそホンジュラスと日本の融合という感動的なシーンでした。
いやはや、それにしても暑かった!!
1年分の汗をかき、不要なダイエットまでしてしまいました。(完)
2008年6月6日金曜日
野谷文昭先生からのお便り
シンポジウム『世界の文学とラテンアメリカ』
現代文芸論研究室のHPはこちら
ラテンアメリカ講座に関するアンケートを行うと必ず「野谷先生の授業が聴きたい」という希望があります。今日は元ラテ研所長の野谷先生からのお誘いです。
今年の4月から東京大学大学院でラテンアメリカ文学を講じていらっしゃる野谷先生の所属する現代文芸論研究室が主催するシンポジウムです。
シンポジウム:『世界の文学とラテンアメリカ』
日時:2008年6月29日(日)15時~17時30分
場所:法文2号館1番大教室(東大本郷キャンパス)
演者:桜庭 一樹(作家)、野谷文昭(ラテンアメリカ文学)、柴田元幸(アメリカ文学)、沼野充義(ロシア東欧文学)
始まってからだと教室に入れなくなるかもしれない・・とのことで、あえてあまり広報はしないそうです。このブログへの掲載はラテ研の受講生のために野谷先生に特別にご許可いただています。
今年の4月から東京大学大学院でラテンアメリカ文学を講じていらっしゃる野谷先生の所属する現代文芸論研究室が主催するシンポジウムです。
シンポジウム:『世界の文学とラテンアメリカ』
日時:2008年6月29日(日)15時~17時30分
場所:法文2号館1番大教室(東大本郷キャンパス)
演者:桜庭 一樹(作家)、野谷文昭(ラテンアメリカ文学)、柴田元幸(アメリカ文学)、沼野充義(ロシア東欧文学)
始まってからだと教室に入れなくなるかもしれない・・とのことで、あえてあまり広報はしないそうです。このブログへの掲載はラテ研の受講生のために野谷先生に特別にご許可いただています。
2008年6月4日水曜日
!!お知らせ!!
以前にお知らせしたように、現在立教大学では新サーバーへ移行しています。
立教大学を「お気に入り」入れている方は、以前のアドレスから直接新HPへジャンプしていると思います。ところが、新大学HPへこれまでアップしたものを更新できない状況が続いています。
一度は7月の講演会情報をアップしたのですが、また5月17日段階のHPに戻っています。
従って、しばらく新しい情報はこのブログでしか更新できない状況が続くかもしれません。
申し訳ありませんが、しばらくの間ブログで新情報をチェックしてください。
HPが更新できるようになったら、こちらでも告知いたします。
立教大学を「お気に入り」入れている方は、以前のアドレスから直接新HPへジャンプしていると思います。ところが、新大学HPへこれまでアップしたものを更新できない状況が続いています。
一度は7月の講演会情報をアップしたのですが、また5月17日段階のHPに戻っています。
従って、しばらく新しい情報はこのブログでしか更新できない状況が続くかもしれません。
申し訳ありませんが、しばらくの間ブログで新情報をチェックしてください。
HPが更新できるようになったら、こちらでも告知いたします。
講演会「ラテンアメリカ先住民族女性の状況」
もうひとつ、講演会のお知らせです。
『ラテンアメリカ先住民族女性の状況―「先住民族サミット」アイヌモシリ2008報告会 ―』
こちらも司会は伊高 浩昭ラテンアメリカ講座講師です。
今回は珍しく中米からのゲストです。
お一人は、グアテマラからのロサリーナ・トゥユク氏 。この方は、 マヤ・カクチケル女性。コナビグア(連れあいを奪われた女性たちの会)共同代表。元国会議員(1997-2000)。グアテマラ内戦期から、人権侵害の告発、強制徴兵反対運動、先住民族及び先住民族女性の権利の確立のために闘い、内戦期の真相究明活動や補償問題にも取り組んでいます。
もう一人はニカラグアからの、ミスキート女性、ロス・カニンガム氏 です。ワンキ・タグニ(ニカラグア大西洋岸のミスキート先住民族組織)代表。ニカラグア内戦中から和平と民族和解の活動、先住民族女性のエンパワメントの活動を行う。北京女性会議をきっかけに創設された国際先住民族女性フォーラム(FIMI)の創設メンバーです。
日時: 2008年7月7日(月)18:30~20:30
会場: 立教大学池袋キャンパス 8号館8202教室
今回の主催は、日本ラテンアメリカ協力ネットワーク
(E-mail recom@jca.apc.org)HP http://www.jca.apc.org/recom/
伊高講師が機関誌である「そんりさ」に寄稿しています。
『ラテンアメリカ先住民族女性の状況―「先住民族サミット」アイヌモシリ2008報告会 ―』
こちらも司会は伊高 浩昭ラテンアメリカ講座講師です。
今回は珍しく中米からのゲストです。
お一人は、グアテマラからのロサリーナ・トゥユク氏 。この方は、 マヤ・カクチケル女性。コナビグア(連れあいを奪われた女性たちの会)共同代表。元国会議員(1997-2000)。グアテマラ内戦期から、人権侵害の告発、強制徴兵反対運動、先住民族及び先住民族女性の権利の確立のために闘い、内戦期の真相究明活動や補償問題にも取り組んでいます。
もう一人はニカラグアからの、ミスキート女性、ロス・カニンガム氏 です。ワンキ・タグニ(ニカラグア大西洋岸のミスキート先住民族組織)代表。ニカラグア内戦中から和平と民族和解の活動、先住民族女性のエンパワメントの活動を行う。北京女性会議をきっかけに創設された国際先住民族女性フォーラム(FIMI)の創設メンバーです。
日時: 2008年7月7日(月)18:30~20:30
会場: 立教大学池袋キャンパス 8号館8202教室
今回の主催は、日本ラテンアメリカ協力ネットワーク
(E-mail recom@jca.apc.org)HP http://www.jca.apc.org/recom/
伊高講師が機関誌である「そんりさ」に寄稿しています。
ニカラグア大使講演会(Conferencia del Embajador de Nicaragua)
ニカラグア大使講演会のお知らせです。
毎年恒例のラテンアメリカ論IIの特別授業、伊高講師のクラスの大使講演会です。今年はニカラグア大使をお迎えして行います。
ニカラグアは米国主導の米国・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(CAFTA-RD)と、ラ米左翼の米州ボリーバル主義代替統合構想(ALBA)の両方に加盟する国です。今後のラテンアメリカのあり方を知る非常に価値ある講演会となるはずです。
また、ラテンアメリカのスペイン語を学んでいても、メキシコやアルゼンチンのスペイン語に触れる機会は多くても、中米のスペイン語に触れるのは初めてという方もいるのではありませんか?
こうしたスペイン語に触れるのも楽しみですね。今回はスペイン語逐次通訳つき。実は今回の通訳には国内トップ通訳者にお願いしました。この方の通訳技術を逐次通訳で学べるという、めったにない機会です。
日時:2008年7月5日(土) 14:45~17:30
場所:立教大学池袋キャンパス 5号館 5122教室
講師: サウル・アラナ・カステジョン・ニカラグア共和国特命全権大使
司会: 伊高 浩昭(ジャーナリスト、ラテンアメリカ講座講師)
スペイン語 - 逐次通訳つき
演題:現代ニカラグア情勢 ―復活したサンディニスタ政権の政策と課題―
講演会の前半は、ニカラグア大使に語っていただきます。
後半はニカラグア大使と伊高講師との対談形式で参加者の質問に丁寧に答えていきます。
毎年恒例のラテンアメリカ論IIの特別授業、伊高講師のクラスの大使講演会です。今年はニカラグア大使をお迎えして行います。
ニカラグアは米国主導の米国・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(CAFTA-RD)と、ラ米左翼の米州ボリーバル主義代替統合構想(ALBA)の両方に加盟する国です。今後のラテンアメリカのあり方を知る非常に価値ある講演会となるはずです。
また、ラテンアメリカのスペイン語を学んでいても、メキシコやアルゼンチンのスペイン語に触れる機会は多くても、中米のスペイン語に触れるのは初めてという方もいるのではありませんか?
こうしたスペイン語に触れるのも楽しみですね。今回はスペイン語逐次通訳つき。実は今回の通訳には国内トップ通訳者にお願いしました。この方の通訳技術を逐次通訳で学べるという、めったにない機会です。
日時:2008年7月5日(土) 14:45~17:30
場所:立教大学池袋キャンパス 5号館 5122教室
講師: サウル・アラナ・カステジョン・ニカラグア共和国特命全権大使
司会: 伊高 浩昭(ジャーナリスト、ラテンアメリカ講座講師)
スペイン語 - 逐次通訳つき
演題:現代ニカラグア情勢 ―復活したサンディニスタ政権の政策と課題―
講演会の前半は、ニカラグア大使に語っていただきます。
後半はニカラグア大使と伊高講師との対談形式で参加者の質問に丁寧に答えていきます。
2008年6月2日月曜日
アルゼンチン便り
ラテンアメリカ研究所の元職員Wさんよりお手紙が届きました。
今回はアルゼンチンからのお便りです。
*********************
5月初旬に休暇を取って日本のちょうど裏側のアルゼンチンを訪れました。
アルゼンチンは私にとって一番かかわりが深く、今や第二の故郷とさえ思っている国です。
最後に訪問したのはほぼ10年前。ほんのちょっとご無沙汰しているつもりでしたが、気がつけば一昔前になっていました。
首都のブエノス・アイレス到着は早朝6時。ちょうど日本と季節が逆なので、アルゼンチンは秋が深まってきていました。まだ暗闇のなかで、吐く息が白く浮かびあがります。
久しぶりの空港は見違えるほど美しくなり、空港から中心部に向かう道の状態のよさや広さ、ずらりと並ぶ料金所、マンションの多さに圧倒されました。10年近い時の流れに加えて、ホンジュラスに1年ちょっと住んでいるうちに自分の物差しがホンジュラス基準になっていたようで、大都会ブエノス・アイレスに「別世界みたい・・・」とびっくりしてしまいました。
街を歩いていても、おしゃれなカフェがいたるところにあり、道行く人々も洗練された着こなしで颯爽と歩いています。物も豊かで、汽車、地下鉄、バス網も発達しています(やっぱり私が相当「ホンジュラス化」していますね)。
滞在した1週間、毎日のように旧友と再会し、この10年の空白を埋めるべくお互いのこれまでの出来事を語り合いました。
かつてのプレイボーイは3児の父として奮闘中、浮いた噂のなかった堅物もいよいよ婚約、そうかと思えばお世話になった人が脳卒中で亡くなったり、昔の教え子が若くして病気で帰らぬ人になっていました。一方で、ご存命かどうか気がかりだった方が、電話口からお元気そうな声を聞かせてくれて、ほっと一安心する場面もありました。
アルゼンチンは2001年末に経済危機を迎えました。私がかつて滞在していた頃は1ドル=1ペソの固定相場だったのですが、実際にはペソはそれほど強くなかったため、そのしわ寄せがだんだん広がり、抑えきれなくなりました。ついに破綻となった時に、政府が銀行預金を凍結したため、コツコツと貯めたお金を引き出せなくなった国民は、大混乱に陥りました。特に、長年かけて貯めた貯金で老後を過ごそうと思っていたお年よりの精神的ダメージが大きく、心の病にかかったり、命を落とした人も少なくなかったそうです。
私が今回会った知人の中にも、経済危機後の激しいストレスで家族を失った方がいました。まだ働き盛りで、お子さんは育ち盛りでした。ご本人も悔しかったでしょうし、経済危機の最中に大黒柱を失った家族はどれほど大変だっただろうかと、想像するだけでも胸が痛みます。また、この時期たくさんの人が職を失いましたが、友人の中には結婚して子どもが授かった途端に勤務先から解雇を命じられ、途方に暮れた人もいました。
けれども、それ以上に驚いたのは、そんな苦労を重ねた人たちが昔と全く変わらない笑顔で私を出迎えてくれ、つらかった出来事を淡々と話しながら、でも今は元気だよと言ってくれたことです。日本のように政治的にも経済的にも比較的安定した社会にいると、何もないことが当たり前になってしまうのですが、「何十年かに一度、すべてをひっくり返すようなことが起きる」アルゼンチンに住む人たちは、本当にタフで底力があります。きっとそうでなければ、アルゼンチンのような激動の社会を生き延びられないのでしょう。苦労を重ねた人ほど他人に優しいといいますが、友人たちの手厚いもてなしや、またいつでもおいでと見送ってくれる優しさに、これまでの苦労の多さ、心痛の深さと、人間としての懐の大きさを感じました。
さて、アルゼンチンといえばタンゴ、ワイン、それにアサード(牛肉の炭火焼)です。
タンゴショーで息もつかせぬほどの細かく激しいステップと、セクシーでいながらアクロバティックなダンスを堪能し、友人には美味しい牛肉の手料理をご馳走になったり、アサードのお店に連れて行ってもらったりしました。日本では軟らかいことがよい肉の条件になっていますが、アルゼンチンの牛肉はそれなりの歯ごたえがあり、塩コショウというシンプルな味付けながら、噛めば噛むほどよい味が出てきます。久々にアサードを食べて、これこそ肉の王道だと心底思いました。この美味しさは言葉では表現できません。みなさん、ぜひ本場アルゼンチンで牛肉を味わってみてください。
10年ぶりのブエノス・アイレスは、見違えるほど都会になっていましたが、歴史的建造物や独自の文化、人々の優しさは変わらず残っていました。第二の故郷としてまたきっと訪れることを心に誓いながら、帰途に着きました。
Hasta pronto, Buenos Aires.
ラテンアメリカ研究所 元職員 Wより
今回はアルゼンチンからのお便りです。
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5月初旬に休暇を取って日本のちょうど裏側のアルゼンチンを訪れました。
アルゼンチンは私にとって一番かかわりが深く、今や第二の故郷とさえ思っている国です。
最後に訪問したのはほぼ10年前。ほんのちょっとご無沙汰しているつもりでしたが、気がつけば一昔前になっていました。
首都のブエノス・アイレス到着は早朝6時。ちょうど日本と季節が逆なので、アルゼンチンは秋が深まってきていました。まだ暗闇のなかで、吐く息が白く浮かびあがります。
久しぶりの空港は見違えるほど美しくなり、空港から中心部に向かう道の状態のよさや広さ、ずらりと並ぶ料金所、マンションの多さに圧倒されました。10年近い時の流れに加えて、ホンジュラスに1年ちょっと住んでいるうちに自分の物差しがホンジュラス基準になっていたようで、大都会ブエノス・アイレスに「別世界みたい・・・」とびっくりしてしまいました。
街を歩いていても、おしゃれなカフェがいたるところにあり、道行く人々も洗練された着こなしで颯爽と歩いています。物も豊かで、汽車、地下鉄、バス網も発達しています(やっぱり私が相当「ホンジュラス化」していますね)。
滞在した1週間、毎日のように旧友と再会し、この10年の空白を埋めるべくお互いのこれまでの出来事を語り合いました。
かつてのプレイボーイは3児の父として奮闘中、浮いた噂のなかった堅物もいよいよ婚約、そうかと思えばお世話になった人が脳卒中で亡くなったり、昔の教え子が若くして病気で帰らぬ人になっていました。一方で、ご存命かどうか気がかりだった方が、電話口からお元気そうな声を聞かせてくれて、ほっと一安心する場面もありました。
アルゼンチンは2001年末に経済危機を迎えました。私がかつて滞在していた頃は1ドル=1ペソの固定相場だったのですが、実際にはペソはそれほど強くなかったため、そのしわ寄せがだんだん広がり、抑えきれなくなりました。ついに破綻となった時に、政府が銀行預金を凍結したため、コツコツと貯めたお金を引き出せなくなった国民は、大混乱に陥りました。特に、長年かけて貯めた貯金で老後を過ごそうと思っていたお年よりの精神的ダメージが大きく、心の病にかかったり、命を落とした人も少なくなかったそうです。
私が今回会った知人の中にも、経済危機後の激しいストレスで家族を失った方がいました。まだ働き盛りで、お子さんは育ち盛りでした。ご本人も悔しかったでしょうし、経済危機の最中に大黒柱を失った家族はどれほど大変だっただろうかと、想像するだけでも胸が痛みます。また、この時期たくさんの人が職を失いましたが、友人の中には結婚して子どもが授かった途端に勤務先から解雇を命じられ、途方に暮れた人もいました。
けれども、それ以上に驚いたのは、そんな苦労を重ねた人たちが昔と全く変わらない笑顔で私を出迎えてくれ、つらかった出来事を淡々と話しながら、でも今は元気だよと言ってくれたことです。日本のように政治的にも経済的にも比較的安定した社会にいると、何もないことが当たり前になってしまうのですが、「何十年かに一度、すべてをひっくり返すようなことが起きる」アルゼンチンに住む人たちは、本当にタフで底力があります。きっとそうでなければ、アルゼンチンのような激動の社会を生き延びられないのでしょう。苦労を重ねた人ほど他人に優しいといいますが、友人たちの手厚いもてなしや、またいつでもおいでと見送ってくれる優しさに、これまでの苦労の多さ、心痛の深さと、人間としての懐の大きさを感じました。
さて、アルゼンチンといえばタンゴ、ワイン、それにアサード(牛肉の炭火焼)です。
タンゴショーで息もつかせぬほどの細かく激しいステップと、セクシーでいながらアクロバティックなダンスを堪能し、友人には美味しい牛肉の手料理をご馳走になったり、アサードのお店に連れて行ってもらったりしました。日本では軟らかいことがよい肉の条件になっていますが、アルゼンチンの牛肉はそれなりの歯ごたえがあり、塩コショウというシンプルな味付けながら、噛めば噛むほどよい味が出てきます。久々にアサードを食べて、これこそ肉の王道だと心底思いました。この美味しさは言葉では表現できません。みなさん、ぜひ本場アルゼンチンで牛肉を味わってみてください。
10年ぶりのブエノス・アイレスは、見違えるほど都会になっていましたが、歴史的建造物や独自の文化、人々の優しさは変わらず残っていました。第二の故郷としてまたきっと訪れることを心に誓いながら、帰途に着きました。
Hasta pronto, Buenos Aires.
ラテンアメリカ研究所 元職員 Wより
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