2008年6月2日月曜日

アルゼンチン便り

ラテンアメリカ研究所の元職員Wさんよりお手紙が届きました。
今回はアルゼンチンからのお便りです。

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5月初旬に休暇を取って日本のちょうど裏側のアルゼンチンを訪れました。

アルゼンチンは私にとって一番かかわりが深く、今や第二の故郷とさえ思っている国です。
最後に訪問したのはほぼ10年前。ほんのちょっとご無沙汰しているつもりでしたが、気がつけば一昔前になっていました。

首都のブエノス・アイレス到着は早朝6時。ちょうど日本と季節が逆なので、アルゼンチンは秋が深まってきていました。まだ暗闇のなかで、吐く息が白く浮かびあがります。

久しぶりの空港は見違えるほど美しくなり、空港から中心部に向かう道の状態のよさや広さ、ずらりと並ぶ料金所、マンションの多さに圧倒されました。10年近い時の流れに加えて、ホンジュラスに1年ちょっと住んでいるうちに自分の物差しがホンジュラス基準になっていたようで、大都会ブエノス・アイレスに「別世界みたい・・・」とびっくりしてしまいました。

街を歩いていても、おしゃれなカフェがいたるところにあり、道行く人々も洗練された着こなしで颯爽と歩いています。物も豊かで、汽車、地下鉄、バス網も発達しています(やっぱり私が相当「ホンジュラス化」していますね)。

滞在した1週間、毎日のように旧友と再会し、この10年の空白を埋めるべくお互いのこれまでの出来事を語り合いました。

かつてのプレイボーイは3児の父として奮闘中、浮いた噂のなかった堅物もいよいよ婚約、そうかと思えばお世話になった人が脳卒中で亡くなったり、昔の教え子が若くして病気で帰らぬ人になっていました。一方で、ご存命かどうか気がかりだった方が、電話口からお元気そうな声を聞かせてくれて、ほっと一安心する場面もありました。

アルゼンチンは2001年末に経済危機を迎えました。私がかつて滞在していた頃は1ドル=1ペソの固定相場だったのですが、実際にはペソはそれほど強くなかったため、そのしわ寄せがだんだん広がり、抑えきれなくなりました。ついに破綻となった時に、政府が銀行預金を凍結したため、コツコツと貯めたお金を引き出せなくなった国民は、大混乱に陥りました。特に、長年かけて貯めた貯金で老後を過ごそうと思っていたお年よりの精神的ダメージが大きく、心の病にかかったり、命を落とした人も少なくなかったそうです。

私が今回会った知人の中にも、経済危機後の激しいストレスで家族を失った方がいました。まだ働き盛りで、お子さんは育ち盛りでした。ご本人も悔しかったでしょうし、経済危機の最中に大黒柱を失った家族はどれほど大変だっただろうかと、想像するだけでも胸が痛みます。また、この時期たくさんの人が職を失いましたが、友人の中には結婚して子どもが授かった途端に勤務先から解雇を命じられ、途方に暮れた人もいました。

けれども、それ以上に驚いたのは、そんな苦労を重ねた人たちが昔と全く変わらない笑顔で私を出迎えてくれ、つらかった出来事を淡々と話しながら、でも今は元気だよと言ってくれたことです。日本のように政治的にも経済的にも比較的安定した社会にいると、何もないことが当たり前になってしまうのですが、「何十年かに一度、すべてをひっくり返すようなことが起きる」アルゼンチンに住む人たちは、本当にタフで底力があります。きっとそうでなければ、アルゼンチンのような激動の社会を生き延びられないのでしょう。苦労を重ねた人ほど他人に優しいといいますが、友人たちの手厚いもてなしや、またいつでもおいでと見送ってくれる優しさに、これまでの苦労の多さ、心痛の深さと、人間としての懐の大きさを感じました。

さて、アルゼンチンといえばタンゴ、ワイン、それにアサード(牛肉の炭火焼)です。

タンゴショーで息もつかせぬほどの細かく激しいステップと、セクシーでいながらアクロバティックなダンスを堪能し、友人には美味しい牛肉の手料理をご馳走になったり、アサードのお店に連れて行ってもらったりしました。日本では軟らかいことがよい肉の条件になっていますが、アルゼンチンの牛肉はそれなりの歯ごたえがあり、塩コショウというシンプルな味付けながら、噛めば噛むほどよい味が出てきます。久々にアサードを食べて、これこそ肉の王道だと心底思いました。この美味しさは言葉では表現できません。みなさん、ぜひ本場アルゼンチンで牛肉を味わってみてください。

10年ぶりのブエノス・アイレスは、見違えるほど都会になっていましたが、歴史的建造物や独自の文化、人々の優しさは変わらず残っていました。第二の故郷としてまたきっと訪れることを心に誓いながら、帰途に着きました。

Hasta pronto, Buenos Aires.

ラテンアメリカ研究所  元職員 Wより