遅れましたが、伊高先生からの船上便りを掲載いたします。3月19日に着信したものです。
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船は3月15、16両日、ナポリ港に停泊した。早速、ポンペイ遺跡に行った。約2000年前のローマ帝国時代の街が、発掘されて生々しい姿を見せている。日本人がまだ土器の時代にあったころ、現代の都市と本質的に大きく変わらない街並みがあったのだ。普段の生活をしていたさなかに突然、近くのヴェスヴィオ火山が爆発し、街は厚い砂と石の層に覆われ、永い眠りについた。だから、生活の痕跡がいたるところに生々しく残っているのだ。
文明はいつかは滅びる。大地震で危機に陥った日本の原発文明もしかりだろう。私たちは重大な生活上のパラダイム転換を迫られている。遺跡に立ってあらためて、このことを認識した。夜は、ダンテ広場まで旧市街を歩いてから、カンツォーネ酒場で過ごした。
翌日はカプリ島に渡り、パブロ・ネルーダが1951年に亡命生活を送った家を探した。何人かの親切な老人達の協力を得て、その家のありかを突き止めることが出来た。感慨があった。島からソレントに渡り、「帰れソレントへ」の歌の故郷を散策した。彼方にある、ナポリ湾沿岸のナポリ市サンタ・ルチア地区は「はるかなるサンタ・ルチア」や「サンタ・ルチア」の古里だが、往時の漁村は金持ちのヨット港に変わり果て、ナポリ民謡の傑作を生んだ面影は乏しい。
17日、世界自然遺産のストロンボリ島の脇を通り、シチリア島とイタリア半島の「長靴」の突端の間のメッシーナ半島を通過し、エトナ火山の雄姿を遠望、ギリシャに向かう。夜、大地震・原発事故を受けて、どうパラダイム転換を図るべきか、船内討論会を開いた。多くの意見が出された。福島原発はM6・5の地震を想定して建設されていたため、M9・0の巨大地震にはひとたまりもなかった、という事実も専門家から指摘された。20110318
PB船上にて 伊高浩昭