サウディアラビア紅海沿岸のジッダに3月26日寄港し、一日上陸した。査証は公用・外交、商用、巡礼用が普通で、「観光」はない。だが同国政府の判断で、PB乗客約700人の一日上陸が認められた。しかし入管では、通過に2時間もかかった。米国警察当局との明らかな連携で、一人一人が両親指および、右手の親指以外の4指、同じく左手の4指の指紋、眼鏡外した顔写真をとられたからだ。「国際テロリスト」や「サウディ国内不安定化の扇動者」らの入国を阻止するためらしい。中東・北アフリカのイスラム諸国の歴史的変動期にあって、厳戒態勢をとっている。
モスレムの巡礼の地メッカは、ジッダの東方70kmにある。車で高速道路を30分、電車で45分の近さだ。メッカに行けるのは通常モスレムだけであり、異教徒は特別の許可がないと訪れることはできない。年間400万人が諸外国から玄関口ジッダ空港に降り立ち、メッカ、そしてメディナを訪れるという。ジッダ新空港は敷地の長さが20kmもあると聞いた。
ジッダの旧市街を歩いた。寺院のミナレットの上部の拡声器から、日に5回の礼拝時の放送がなされる。「アッラーは神たちの中の最高の神だ。。。」。浪花節をけだるくしたような音色は、フラメンコの曲の底流にある。イスラム支配したのアンダルシーアで生まれたのが、フラメンコ音楽だ。
ジッダ新市街は、世界一の産油国の主要都市らしく、石油マネー威力を存分に発揮して、現代的かつ成金的だ。女性の姿は極めて少なく、就労年齢女性の30%程度しか働いていないとのこと。顔と手しか露出させてはならない、という厳しい習慣で、女性は身体を黒服と黒頭巾で覆っている。「戒律の厳しさ」は、目に見える女性の服装で象徴される。一方、男は服装は自由だ。戒律の厳しさは、サウディがイアスラム教発祥の地であるという正当な理由のほか、サウディ王家を維持するための方便という側面は無視できないだろう。
郊外で、ベドゥウィン(砂漠の遊牧民)の羊肉料理、生コーヒー、ナム、なつめ菓子などを味わい、彼らの踊りを観た。一瘤ラクダが沢山現れて、飼料の乾燥草を食べた。いまでは、過酷な砂漠での生活を切り上げて都市で暮らす者が多いという。旧市街のスーク(市場)周辺には物貰いや小銭をせびる老人、中年女性がおり、少年少女のチュウインガム売りもいた。社会の底辺労働は移民労働者がこなしている。経済と人種の格差が目に付き、潤沢な原油の生む富が社会全体にあまねくいきわたっていない状況を示していた。
2011年3月26日
ジッダで 伊高浩昭